亡くなった父を思うと
いつも母のことで相談にのっていただいていましたが、今回は去年秋に亡くなった父のことでの相談です。
父は病気が分かって1ヶ月後に亡くなりました。86歳になるその日まで入院も精密検査もしたこともなく健康だと思っていたのに、気づいた時には末期のガンでした。
たぶん自分では少しずつ異変に気づいて、一人でひそかに悩んでいたのではないか?と最近母と話しました。
父の性格上医者にも行きたがらないし、聞けば「元気だよ」と答えるので鵜呑みにしていたことを後悔しています。
死のギリギリまで家で普通に生活し、たった2週間の入院で逝ってしまったことを、むしろ幸せだったねなどと家族と話していたのに、本当は自身では誰にも言えずに長く悩んでいたかもしれないことを気づいてあげられなくて、その父の心情を思い返すと悲しくツラくなります。
父はそれで良かったのでしょうか。
今は仏様の元で安らかにしているでしょうか。
もっと親身に健康に気づかって闘病生活をすることが良かったのか、ギリギリまで家で普通の生活をしてて良かったのか…今さら悩んでも仕方ないのに胸が痛くなります。
どうか父が満足に生涯を閉じられていますように…と願ってやみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その不安も、仏様のお救いを聴いていかれると安心に変わっていく
耐えられない痛み等があれば、周りも気づきますよね。ご高齢の方のガンは進行も緩やかで、異変があったとしても直前まで、お気づきにならなかったのではないでしょうか。家で最後まで過ごせたことが、安心に変わっていったのかもしれませんね。
たとえ、ご家族に言わない(言えなかった)のだとしても、言わないままを望む人もいます。余計な心配をかけず、いつも通りに過ごすことを大切になさりたかったのかも知れませんよ。(私も家族を含む、誰にも言わない生き方を望んでいるのですよ)家族としては、寂しいでしょうけれど。人それぞれに生き方は尊重したいものですよね。
どうぞ、悔やんだりなさらずに、大切な仏縁を結んでくださったお父さまに感謝を。そして、亡き人を想えばこそ、仏法を聞いていかれる生き方をなさってくださいね。住職さんとの縁もしっかり結び、参られるたびに、仏法を聴いていきしょう。あなたのその不安も、仏様のお救いを聴いていかれると安心に変わっていきますよ。
合掌
質問者からのお礼
中田さま、回答をありがとうございます。
父が亡くなっていろんな事を考えるきっかけになりました。
初めは父の死を受けとめるだけで必死だった私たち家族も、時間とともに父の生き方をあらためて想うように…。
でも本人が望んでいた最期に近い形だったのかもしれませんね。
また家族の死をきっかけに、仏縁を感じることも増えました。今まで無宗教だと思ってたのに、仏さまを頼みに思う心がお坊様やハスノハを通じて自然とわいてきています。
静かに父を想いながら穏やかに過ごせたらなと思いました。
いつも親身に回答をくださり、本当に感謝しています。