死んではいけない理由
元々はそんな考えたことなかったですが、ここ数年は毎日のように、朝起きたら死にたい、消えたい、また目が覚めてしまったと思います。
夜仕事から帰ってきても同様です。
死にたい、消えたい。
だから考えないようにするために、睡眠薬を無理矢理飲んで寝ます。
死にたい、消えたい
なんで自殺してはいけないのでしょうか
死にたい、消えたいと思うことにもとても疲れました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
頑張っている自分に優しく。
お悩み拝読しました。死にたい、そう思ってしまうのですね。そう思うことにも疲れる、そのお気持ちをお伝えしてくださってありがとうございます。
職場では他人を思いやり頑張りすぎているのだろうとお察ししました。少しルーズになって手抜きをしたり、たまには朝寝坊をしてみてもいいように思いました。辛い時は辛いままに、ハスノハに書いていただいたり、オンラインの相談を利用してください。
世の中には、自分とは価値観の違う人ばかりですから、仕事でも近しい人でも、何かを求めてガッカリすることは珍しくありません。疲れた時は考えすぎず、頑張っている自分をほめて、深呼吸すること。そして、一人だと思わないでくださいね。私たちは、こうしてインターネットを介してもご縁を頂き、メッセージを受け取ることが出来ますから。
生きている間には、死ぬことを考えたいほど辛いこともあります。でも、自分も他人も環境も常に変化していきます。その中で少しずつでも気持ちが晴れる瞬間があると思います。時間がかかるかもしれませんが、今は見えない「晴れ」を信じて、自分に優しくして過ごしてください。
小さな頃、とても寂しかったご経験がありますか?
過去のご質問を拝読しました。
異性との交際でお別れはつきものですが、その精神的なダメージの大きさは、お別れの仕方、相手への思いの執着などで変わってきます。誰もがそのような経験を乗り越えて、あるいはその経験とともに新しく歩んでいくのだと思いますが、
長期間、あまりにも落ち込んでしまうのは、小さな頃とても寂しい経験などをされて、おそらく軽度の愛着障害のような性質があるのかもしれません。
小さなときに充分甘えることができなかったり、承認欲求が満たされなかったりすると、(ただしこれは、ご両親さまからの愛情不足という意味ではなく、同じ愛情でも充分という子もいれば、不足に感じでしまう子もいる、という関係性、相性で決まってしまうもの)
成人してからは、その不足感を満たすことを、恋人、パートナーに求めて相手に依存するようになって、相手の方に「重い」とか精神的に負担感をもたせてしまうことがあったり、お別れすると絶望的なところまで落ち込んでしまったりするのだと思います。
そして、このような方は、少なくなくいて、拗らせ(こじらせ)という言葉が浸透するほどですし、他ならぬ私もそのような性質があるのと思ったりしています。
とても辛い時、悲しい時、空しい時などは、その想いの只中から少し離れて、自分を客観視して見守る視点にたちます。「今、私はとても悲しんでいる」「辛いと感じている」。そして、ご自身をねぎらって、いたわることを繰り返していくと、心が収まっていくのではないかと思います。
今、コロナで大変な状況ですが、いったんお仕事は区切りをつけて、心機一転、心療内科や精神科などの方面へ医師として進まれることも一つかもしれません。苦しんだり悩んだりした分だけしか他人の苦しみは分かりません。その意味ではとても貴重なご経験を積まれているのかもしれません。
この文章は、状況について想像した上でのものですので、全く見当違いの場合は申し訳ございません。
この状況から、少しでも光が見えていくようにと、祈っております。
あなたのお気持ちお話し下さいね
拝読させて頂きました。
あなたが今も死にたい、消えたいと思っておられること、そして何で死んではいけないのか、何で自殺してはいけないのかと思っておられることを読ませて頂きました。
あなたの今の状況やお気持ち全てはわからないですけれども、あなたのお気持ちを心よりお察しします。
あなたがその様に思ってしまうのには幾つもの理由があるでしょうし、必然性もあると思います。以前のご質問の中でもあなたは仕事上でも大変な状況に追い込まれておられるでしょうし、人からは裏切られたりひどいことをされてとても傷つけられたでしょう。そして人も信頼することできずに毎日生きる意味や目的や希望も失ってしまっておられる様に感じます。このコロナ禍が余計にあなたの心も体も追い打ちをかける様に追い込んでいる様に感じます。
今あなたの心も体も限界ギリギリまで達しておられるのでしょう。
ですから、死んでしまいたい、消えてしまいたい、いっそのこと自殺してしまいたいと思っておられるでしょう。
生きる意味や目的も理由も見つからずに自らの手で命を絶ってしまってもいいのではないかと思っておられるでしょうね。
以前私もその様に何年も毎日思いながら生きていた頃あります、そしてふとした瞬間や受け入れ難いことや苦しい時にはそう思うことがあります。
あなたもよくご存知だと思いますが、私達は誰しもがとても弱くはかない存在です、本当に些細なことで吹けば飛ぶようなとても小さな存在です。自分自身で生きている様に見えたり思ったりしても、私達はこの一瞬一瞬も決して独りで生きているわけではありませんし、何でも自力で生きているわけではありません。私達は様々な巡り合わせの中でその命を始めあらゆるものを恵まれて与えられながら生かされています。
私達の心臓も肺も自ら自力で生きている様に見えますけども決してそうではありません。様々なはたらきや恵みを与えられて動かされ続けています。
ですから生きる理由と言うよりは、生かされている理由やはたらきがあると言った方が善いかと思います。
とはいえ生きることは本当に大変です、自分の力ではどうにもならないことばかりです。生きている中では辛いことも苦しいこともなかなか受け入れられないことばかりがあります。自分独りでは決して乗り越えられないことばかりです。
あなたのお気持ちをお話し下さい。いつも待っていますね。