人を信用できません
見ていただきありがとうございます。
タイトルの通り人を信用も信頼もすることができません。
どんなに仲が良くても関係が深くても、自分の中で予防線を張ってしまい、信用する、信頼するということができず、人間関係(特に恋愛)が上手くいきません。
嫌なことがあっても本人に真意を聞くことも無く「この人にとって私の価値はその程度ということなのだな」と思ってしまい、自己完結させてしまいます。
また、信用信頼ができないため人を好きになることもほとんど無く、大体の人が私にとって言い方は悪いですが「どうでもいい人」という立ち位置になってしまいます。(不幸を望んでいるとかではなく、みんな幸せであれとは思うのですが極論良くも悪くも何もかも「どうでもいい」と思ってしまいます)
良くも悪くもというのは、基本どうでもいいので一緒に居るのが楽しければ相手の経歴やスペックは全くどうでもいいという考えなので、そこは良いところなのかなと思っています。
ですが、「怒ることも無いし不満を言うこともないから冷めてるなと思う」「人を好きになったりしなさそう」と言われることが多く私には人情味がないのかなと思って悩んでいます。
怒ることが無い、不満を言うことがないのは言っても私の考えを押し付けるだけであって、結局は他人なのだから相手がしたくてした行動に何か言っても仕方が無いと思ってしまいなかなか言えません。
何不自由なく育ててもらったことには感謝していますが、親のことも全く信用も信頼もしていません。
人を信用しようとしないからこうなっている事は分かっているのですが、してみようと思ってもどうしても心からの信用は出来ません。
このまま私は誰のことも信用できず、こんな卑屈な人間いつか誰からも相手されなくなり一人で生きていくのかと思うと怖いです。
こんな私が変わる何かいい方法や考え方があれば教えていただけると嬉しいです。
読みにくくなってしまい申し訳ありませんが、ご回答お待ちしております。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そもそも「信用」すべき対象があなたの心の中に居ないから
こんにちは。
「人を信用しようとしないからこうなっている事は分かっている」と書いています。そういう視点もあるでしょう。
一方、あなたが「人を信用でき」ない原因は、他にあると思います。
それは次の一文から推測されます。
相手の「真意を聞くことも無く」、「この人にとって私の価値はその程度ということなのだな」と思って「自己完結」する、という一文です。
これは、自分の思考、感情をそのまま相手に当てはめる、という行いです。この心の行い(業)が、そもそもおかしなことだと思いませんか。
極端に言えば、この世のすべての人はあなたと同じ思考、同じ感情を持った人である、と言っているようなものです。そんなことはとても現実的ではない、これはあなたもお分かりでしょう。
現状は、自分の心に始まって自分の心に終わっています。そこに、他者が存在していない、そもそも「信用」「信頼」すべき対象があなたの心の中に居ないのです。そのため、必然的に「信用」「信頼」が生まれない、「親のことも全く信用も信頼もしてい」ない、となるのが自明の結果なのです。
また、あなたは他者が「どうでもいい人」に見えると書いています。
これも同様の理屈です。
価値としての「どうでもいい」という意味よりも、最初から他者が「どうでもいい」から、自分以外が「どうでもいい」からです。
ご自身を「卑屈な人間」と表現しています。
でも、日常あなたを最初から見下げている人って、実際どれほどいるのでしょうか。実は、あなたがあなた自身を終始「卑屈」に見ている、という「自己完結」だけがあるだけではないでしょうか。その現実を把握するためにも、コミュニケーションに「本人に真意を聞く」のは必要です。
自分の思考、感情をスタート地点にして相手を見ることを止めてみましょう。
相手の思考、感情をスタート地点にして相手を見ることを始めましょう。
相手の思考、感情をスタート地点にして自分を見ることを始めましょう。
自分の思考と相手の思考、その両者のバランスが取れたところに少なからず相手を理解した上での、心からの「信用」「信頼」が生まれるはずです。
追記
返信ありがとうございました。
回答をとても大切に受け取ってくださって嬉しいです。
「嫌な気持ちに」なんかなってませんよ。
安心してください。
真摯に生きるあなたを応援しています。
質問者からのお礼
釋 悠水さま
ご回答ありがとうございます。
大変勉強になりました。
親に関しては物心ついた時から私の意見,考えはほぼ否定、親が求めてくるレベルに達してないと変な子、できない子と言われて来たためこれからも信用することはないと思います…。
幼い頃から何事も否定されすぎて、自己防衛のために自己完結させて来ましたが、心の中に信用すべき対象がいないはその通りだと思います。
どうでもいいは良くも悪くもその人が決めて考えて行動したことであればどう在ってもいい、という意味で書きました。しかし、ご指摘の通り心の底では自分以外どうでもいいと思っているのだと思います。
違うかもしれないから真意を聞かなくては分からない、ということは頭ではよく分かっているのですが、聞くことがこわくて前に進めません。変わりたいのなら進む勇気も必要ですね。
人を理解する気がない(ように見える、実際そうだと思います)のは、自分の事を人に理解されるということを気持ち悪く感じているからだろうと思い克服しなければと思いました。
久しぶりに思っていること考えていることをそのまま書いたため、伝え方がうまくなく嫌な気持ちにさせてしまったら申し訳ないです…。
自分が変わらないと何も変わりませんね、頑張ります。