何をすべきか分からないです。
私は、昨年から精神的な病気で休養しています。
最初は、沢山寝たり、ゆっくりと何も考えずに過ごしていました。
休養をしだしてから半年が経ち、休み始めた頃よりは少しずつ良くなっていますが、まだ働ける状態ではありません。
毎日、したい事や趣味がないのでスマホやパソコンばかり触ってしまいます。
このままでは、ダメだと分かっているのに止める事が出来ません。
何かをしたい訳ではないのですが、せめてスマホやパソコンに代わるものに変えたいと思っています。
精神的にしんどくなって、休養する事が初めてなので、休養中に何をしたら良いのか全く分からないです。
動ける日は動いたり、出来る範囲で家の手伝いをしています。
スマホやパソコンを触らず、読書をするというのでも良いのでしょうか。
それとも、何かの勉強をしたりした方が良いのでしょうか。
自分自身が何をしたいのかもハッキリしていなくて、凄くモヤモヤした日々を過ごしています。
元々、働く事よりも家で家事を手伝っている方が気持ちが楽で、休養に入って半年ですが、また仕事をしなきゃという気持ちに中々なることが出来ません。
休養するとなった時は、自分でも凄く驚きましたが、働くのがとてもしんどかったので、驚いた反面、仕事から解放されたような気持ちになりました。
いつまで休養が続くか分からないですが、休養中は何をしたら良いのか教えて頂きたいです。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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一日10000歩。疲れたら文庫本。
こんにちは。仕事は疲れますよね。そしてパソコンやスマホ(インターネット)からも離れたいとしたら、歩くことはお勧めです。
インターネットというのは、今や広告の最前線です。ここにだって、かなり多くの広告が載っているでしょう。サイト運営者の意図としては「何かを買って欲しい」のが第一義ではない(運営を継続していく)でしょうけれど、否応なくたくさんの広告を見せられています、我々も。(活動の場を提供して貰っているという意味で理解はしていますよ)
かなり競争も激化していますから、みんな何とかして「ウチの広告を見て!」と工夫を凝らしています。そういったものに触れ、煽られていると、時間を無為に過ごすことが増えるに決まっています。
それよりも、もっと自然に「あるもの」を発見し直す…というと大袈裟かも知れませんが、「目に入ってくるもの」をまじまじと見て味わってはいかがですか?今は沈丁花の香りがよくしていますし、夜になると蛙の鳴き声も聞こえます。
そうやって、「自然に」入ってくる物を楽しむ。「古今和歌集」には「世の中にある人、事業(ことわざ)繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。」とあって、世の中見回してふっと言葉に出るものが、自分の心を反映していると教えてくれています。「どんな”綺麗なもの”があるかな」と思いながら道を歩くと、意外にたくさんのそれを見つけることができたりします。
もちろん、道端にも広告はたくさんあります。それを見てもよいですが、お勧めは「すてきな街路樹」とか「植物園」などです。もしかしたら蟻の集団をじっくり見ることで、何か「働く」ということに考えが及ぶかも知れません。
そうやって体を使う。極端な話ではサウナへ入って「生命の危機を感じるほどの環境」に暫く身を置くのも悪くないかも知れません。
体を使ったら、ゆったりしながら本を読む。写真集から始めてもいいかも知れません。気に入ったら深掘りしてみる。詰まらなそうなら別の道へ。そうやって「自分の好みを何となく探していく」のに時間を使うのはいかがでしょうか。
質問者からのお礼
回答してくださって、ありがとうございます。
回答を読んで、凄く納得しました。