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喧嘩したお友達

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

私は高校生です。

半年くらい前に友人と喧嘩してしまいました。
自分を含め仲良くしている子は4人いて、私はそのうちの1人と喧嘩をしたのですが、関係のない残りの2人まで私を避けてきます。
本当に、2人とはトラブルになっておりません。

その日は一緒にご飯を食べる約束をしていたのに私に何も伝えず3人で場所をかえてご飯を食べていました。

とりあえず、仲直りはしました。
が、それからも、3人は私を避けるように接してくるのです。喧嘩した本人なら分かりますが関係のない2人にまで避けられています。
どうしたらよいでしょうか?
所詮はそれまでの友人ということなのでしょうか?

また、今月は3人のうち2人の誕生日です。
私の気持ちですから誕生日プレゼントをあげたいのですがよいでしょうか?
やはり、受け取った側は迷惑でしょうか?

読みにくい上、駄文で申し訳ありません。
お坊さんの皆様、よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本物の友人

喧嘩した二人の間に入り両方からの話を聞いて対応するのが本物の友人です。一方の話だけを真に受けるような人は所詮はその程度だということです。

本当にその程度の二人に誕生日プレゼントを渡したいのか、ご自分の心を静かに見つめ直してもいいかもしれません。
それでも二人を大切に思っているならばお渡ししたらいいでしょう。

迷惑かも知れませんし、迷惑ではないかも知れません。
それでもあなたが真心でやることに万が一にも間違いはないということは確かです。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。
私は、友人達が仲良くしているのを羨ましがっているだけなのかもしれません。
ですが、よく考えると、一方だけの意見を聞いてこちらを避けるっておかしいはなしですよね。
それって、上辺だったのかななんて悲しい気持ちにもなりますが…。

お誕生日プレゼントの件は、私の気持ちもありましたが、正直、もう一度仲良くなれるきっかけになるのでは?と思っていました。
そんな気持ちで渡しても、想いは伝わらないですよね。

ありがとうございました。

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