中絶した後の人生
妊娠されている方や、中絶経験者やレイプ表現の苦手な方は閲覧注意の内容です。
一年前の18歳の時に人工妊娠中絶をしました。
彼氏に産みたいと言いましたが、学生で親に言えない、自信がないという理由で反対されました。つわりで苦しく精神状態的にも追い詰められ、そのまますぐにその日がすぐにやってきてしまいました。
また、理由がもう一つあって同時期に日常的に近くの大人にレイプのようなことされていて彼氏に自分の子か信用されていなかったのもあります。不思議なことに何回ものレイプを途中から受け入れてしまっていました。今ではおかしいと思いますが。
それから妊娠した時を思い出したり、お腹の中にいた赤ちゃんを毎日考えています。
お腹に向かって、あなたは望まれた子だよ。大好きだよ。怖くないからね。とずっと言っていました。すぐに行くからねと言っていたのに、約束を果たせていません。
そんな約束をしたのに、そしてこんなこと思ってはいけないと思うのですが、今赤ちゃんを心の底から欲しいと思います。
私は今学生なのに赤ちゃんを望んでいいのでしょうか。世間的に見て、経済力がないのに子供を産むなと言われることは百も承知です。
そして、また同じ子がお腹に来てくれるのでしょうか。
赤ちゃん以外に何を希望に生きていけばいいのか分かりません。
中絶の罪を償えと言われる人がいますが、中絶したことがある人ならそんなこと言われなくても十分に苦しみ抜いていると分かってくれると思います。親にも誰にも言わずに手術をしてしまって、今も一人ぼっちでその子を思い出しています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
命に関わる大切な問です
こんにちは。
「中絶」後の喪失感に苛まれている、そのお気持ちを察します。
様々に心が揺れているご様子ですね。
いくつか整理しながら回答しましょう。
質問文末尾に「中絶の罪を償」う等々の事が書かれています。
私は、「罪を償」う方法やその是非、一方「十分に苦しみ抜い」たからそれで「償」うということになるのだという意見に対しても与(くみ)しません。あなたに一つアドバイスしたいことは、まずその命に対して弔いをしましたか、ということです。
私は、同様の経緯でお経をお勤めしたことがあります。
失われた命がある。
そして、その選択をしたということ。
この事実は変えられません。
「償」いをしたから、考え方を変えたから、その事実が無くなることはありません。
しかし、せめて今できること。それが弔いです。
そして、亡き命を仏縁としてどう結びつけていくかという視点こそ重要です。
お知り合いのお寺があるのならそちらに依頼するものよし、もし私で良ければ相談に乗りますよ。
「今学生なのに赤ちゃんを望んでいいのでしょうか。世間的に見て、経済力がないのに子供を産むなと言われることは百も承知です」とあります。あなたには複雑な経緯があるようです。「中絶」に至らざるを得なかった、そう言わざる得ない事情がある。その意味で、過去の「中絶」はやむを得なかったともいえるでしょう。
「今学生なのに赤ちゃんを望」む、と書いていますね。しかし、「学生」である状況は今も同じです。今でもその「彼氏」さんが相手なのかどうかは分かりません。ただ、その条件を考慮に入れないでも、現状の心の延長線上ではもし授かっても「つわりで苦しく精神状態的にも追い詰められ」やすい状況に変わりはないと思います。
あなたの「赤ちゃんを望」むということは、本来、過去の苦しみ、悲しみを上書きするためにあってはならないと思います。あくまで、あなたが母親として「経済的」状況に責任を持ち、命に責任を共同で負える男性がいる環境を整える。そこに至ってこそ、結婚相手との間で母親になりたいと「望」むべきではないでしょうか。
妊娠をすること。
それは、
母親になりたい。
それとも悲しみを明るい色で塗り替えたい。
今、あなたはどちらですか。
さまよう心であることは察しますが、命に関わる大切な問です。
出来るところで考えてみてください。