酷い人間です。
先日、姉が亡くなりました。父は自分が生後一ヶ月の時に他界しており、母は老人施設に入所、自分は別世帯で暮らしているので、孤独死でした。
(私の小さい頃は母と姉に酷い事をされていました。今でも体に傷が残っています。そんな事をされていても、私は二人を遠ざける事はできませんでした。成人し私も実家に寄り付かなくなると母も姉もそれを償うように人が変わりました。)
私の家族からは、私に酷い事してきたし好きな事して死んでいったのだからと姉のことも母の事もタッチするなと言われました。母と姉をとるなら出て行ってくれと言われ母と姉との縁を切って欲しいという事に一度頷きました。その為、葬式もしない・母の面倒もみないということになったのですが。(結局葬式はほぼ密葬でしたがすることができました。)
私はなんて酷い人間なんだろうと思う日々です。
遺品整理に家を訪れると私が過去に薦めた物を買い漁っていたり、私の体調が良くなったら(数年ほど体調を崩しておりまして)遊びに実家に行くわというのを待っていた様子でお酒など私が喜ぶものを買い漁っていました。量は半端ではなかったんですが。
寂しかったんだと思います。
いろいろありすぎて文章がわかりづらいのですが、偶然か何かわからないのですが、私は近い人が亡くなるときお線香の匂いがしてきます。姉が亡くなったと知らせを聞く数週間前に早朝にバイクを乗っている最中に匂ってきました。知り合いで亡くなる人はいないはずだし、父や叔父がなくなった時期とかさなるためそれかもと気にも留めてなかったのですが、まさか姉だとは思いませんでした。
おそらく姉が一人で苦しんでいた時だと思います。(死体検案からみた死亡日時を考えると)虫の知らせがあったのに、どうして察知できなかったんだと悔やまれて仕方ありません。
また、酷い事をされていた過去も一緒に笑った過去もどちらも思い出されて苦しいです。私は親兄弟を捨てる酷い人間です。
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きっと見守ってくれます
文章拝読させて頂きました。自分を醜く愚かであるとお感じになっておられることは尊いと思います。自分の身内に本当はこうしてやりたかった、寄り添っていたかった、大切にしてあげたかったと後から思うことはある意味自然な流れです。同時に過去にされたことや自分の現状ではそうしてあげたいのはやまやまだがなかなかできないものです。
今あなたがそう思うお気持ちをそのまま亡くなられたお姉さんに手を合わせて心の中でお伝えなさってくださいね。あなたとお姉さんとのつながりは決して消えることはありません。必ずやあなたなその思いはお姉さんに通じます。そして可能な範囲にてご供養なさって頂き、お姉さんが仏様のお導きを受けてご成仏なさる様にとお祈りなさって頂きますように。
きっとお姉さんははあなたを恨んだりすることなく、優しい見守って頂いておられますので。
後悔から学ぶ事
こんにちは。拝見させていただきました。
ご家族を亡くされ、自分は親兄弟を捨ててしまった酷い人間であると思っておられるのですね。いくら酷い事をされたとはいえ、一緒に過ごした楽しい時間もあったのですからつらい気持ちになってもおかしくはないと思います。ナッシュさんは後悔されていますが、逆に考えればそれだけご家族のことを心の中で考えていたということですからとてもお優しい心を持っておられるのだなと感じました。
酷い事をされた過去の中でもナッシュさんの家族はお互いがお互いを必要としていたのだと思います。その「寂しさ」の表現が悲しいことですが相手を傷つけるという行為だったのでしょう。そんな行為の中にナッシュさん自身も家族の「寂しさ」を無意識にでも感じ取っていたのではないかと思います。そういった気持ちが後悔となって今もまだ自分自身を縛ってしまっているのではないでしょうか。親兄弟というよりも、その過去のナッシュさん自身の後悔、ナッシュさん自身の思いが置き去りになってしまっているのかもしれませんね。ただ、その時、その時で人は「最善の行動」をしているものです。それがたとえ今からみれば不十分なものであったとしてもその時には最善だったのです。それ以上のことが出来ないのが人間なのだと思います。そして親には親の姉には姉の人生があったのだということです。ナッシュさんが思うように親兄弟が人生をおくったとしても幸せを決めるのは当人であって他の誰にもその人生を「こうでなければ」と押しつけることは出来ません。我々は残念ながら仏様ではなく、未熟で凡庸な人間なのです。
「失った悲しみの大きさは、与えてもらったものの大きさである」という言葉があります。どうぞ今ナッシュさんの目の前にある大切な人々を大事にする生活を実践していただけたらと思います。過去は変えることは出来ませんが、意味は変わります。この度の後悔を通して学んだことこそお姉様がナッシュさんに遺してくださった大切な教えだと思います。
今自分自身を支えてくださっているものをどうぞ大切にして歩んでいただけたらと思います。どうぞナッシュさんの心に安らぎが訪れますように。合掌
質問者からのお礼
お礼のコメント部分がある事に気付かず、今になってしまい申し訳ありません。
御二方のお言葉は当時の私にはすごく救いとなりました。何日も眠れなかった日々がゆるやかにこころが落ち着いて、私の気持ちのあるべあところへいけた気がします。
ありがとうございました。