hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

旦那を信用出来ない

回答数回答 1
有り難し有り難し 6

結婚12年になり、7才の子供が1人居ます。
結婚してから喧嘩が多く、それでも好きな気持ちがありずっと我慢しながらきました。
女性関係で怪しいと思う事が多々ありましたが、確信はなく旦那の言葉を信用しながら生活をしてきました。
何度も疑うのが疲れてしまい、もう気にしないようにしようと思うと心穏やかに過ごせたのですが、12年経ち旦那の変わらない現実を見つけてしまい、一緒に過ごす将来が見えなくなりました。
好きか嫌いかも分からなくなり、信用出来ない人と一緒に過ごす毎日が辛いです。
子供の事は1番に考えてくれる頼れるお父さんですが、夫婦間の信頼はゼロになりました。
長年溜まっていた物が溢れ出すように、精神がボロボロになり精神科に通う程になり、自分でもどうして良いか分からないです。
信じたいけど、信じれない。
その態度がまた旦那をイライラさせているのも分かっています。
以前のように子供を1番に考えたいのに、旦那の事を考えてしまうのが辛いです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ルールよりも今の現実に即した心のありかたを

喩えですが、赤信号を渡ってはいけませんというルールがあっても年間の交通違反は百万件を超えます。それだけ人はルールを守っていないという事。ルールよりも、その時その状況下に応じた行動をとっているという姿ともいえましょう。
ルールよりも現実が真実。戦争反対、戦争するなは当たり前ですが、こちらがそうでも相手は戦争する人間だから、平和憲法も「ルールを守りましょう」なんていう態度は相手がルールを守ってくれるわけがないのだからこそ、状況に応じてロシア中国のように他国侵略をする国に応じて防衛態度を変えていかなければ相手の思うつぼです。夫婦関係もこの世の全ても同じです。あなたも彼も変わっている。
結婚前にはアナタの中にはこの人はきっとこういう人だろうという期待や思いがあったのかもしれませんが、夫婦というものは時間がたつごとに関係が変わるものです。
結婚当時はこんな人だったのに…、
と思うことはあの人は昔は20代だったのに…、と思うことと同じです。
雲の形も昨日と違う。さっきと違う。
ウチの冷蔵庫のチーズも気がついたらかっぴかぴになっていたりすること数知れず。ですが、そのカッピカピのチーズを私は古くなった捨てようと思いましたが、ちょっと洗ってクンクンしてみれば「ん、食べられる?」と思い、昨日はがんもどきとチーズとケチャップと玉ねぎと半額ソーセージで軽く煮たら割とイケました。
お腹も大丈夫です。イェイ✌
何の話じゃァと思われるかもしれませんが、お伝えしたいことは、脳内で勝手に思いんでいるルールを人は優先しちゃうところがある。それを一度捨てて、今のかっぴかぴチーズのような夫婦関係(かっぴかぴ言うな)を本当に見つめなおしてみることです。洗ってみることです。いつもと違う調味料(ことば・かかわり・表情・態度・料理・カンケイ💕)を試みることです。信頼できない、信用できないのはたとえダンナというチーズがどうであれ、あなたがどうかということ。世間で不倫でが関係が破壊した夫婦もあれば女性が夫のオス性をよく理解して手の上で転がしている女帝様も数多く居られます。おほほほほほ!(´-`*)👠🐕💦
今日、今すぐ、あなたにとっての理想の夫婦関係という今までのルールもマニュアルも理想論も一度捨ててしまうことをお勧めします。今日から旦那は新しい彼氏として思うことです。ホメオスタシスをあえて手放す。良い一日を。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

まさしくその通りです。
結婚してから大きな問題も含めてたくさんの事がありました。
色々な事があり、今回なぜこんなにも精神的な限界が訪れたのか、旦那とも何度も話し合い、自問自答を繰り返す中で、旦那が求めている事が私自身思いもよらない所だったので…
言葉足らずな私は言わなくても分かるよね?とゆうスタンスだったので、しっかり言葉にしてほしい褒めてほしいとの事でした。
私が1番苦手としている所なので、難しいですが今頑張って言葉にして態度にして伝えようと努力しています。
それでも変わらなければ、またその時考えれば良いのかな。と思うようになってきました。
まだまだ、変わり始めたばかりでぎこちないですが、相手を変えたいなら自分が変わらなければならないの言葉を実感しています。
とてもわかりやすいお応えありがとうございます!
日々悩みながらですが、子供の為にも少しずつ前を見て頑張りたいと思います。
本当にありがとうございました!

煩悩スッキリコラムまとめ