どんどんひねくれていく自分が嫌です
ここ数年、不妊治療のために病院へ通っていますがなかなか妊娠できず毎月生理が来る度にメンタルが壊れ大泣きしています。
自分より後に結婚した人たちがSNSで次々妊娠報告をしており、育児の投稿ばかりする友人は見たくなくてブロックしてしまいました。
駅や街中で小さい子どもや赤ちゃんを見るのも嫌になり、子どもが欲しいはずなのに矛盾していますが、他人の子どもを見たくなくて睨んでしまったりします。
何もしていないときに急に涙が出ることが多くなり何度も何度も死にたいと思い、心療内科に行くとうつ状態だと医師に言われました。
しかし心療内科のカウンセラーの方と考えが合わず、カウンセリング等の治療を続けられませんでした。
夫は普段は優しいし不妊治療にも協力的ですが、私が毎月なにをそんなに悲しんでいるのかわならないようです。
私が隠れて泣いているのを見つけると時々うんざりした顔をします。
「仕方ないものは仕方ない」と。
言ってることはわかりますが私は辛いんです。
不妊治療をやめようかと何度も思いましたが、その方が将来後悔する気がしてやめられません。
人の妊娠を喜べなかったり、外で子どもを見るのが嫌だったり
自分がどんどんマイナスの方に行くのをどうやって止めればいいでしょうか。
こんな自分が嫌です。思考も妊娠できない身体も。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
2つの点から
こんにちは。
「不妊治療」で、心身ともに大変な負担が掛かっているのでしょう。
お察しします。
「どんどんマイナスの方に行く」ことに戸惑っているのですね。
第三者の立場から見て、以下の2つの点をアドバイスしたいと思います。
1・努力できる部分と、出来ない部分を明確に意識する
「不妊治療」に臨むこと自体は前者に当たるのだと思います。
しかし、実際に授かるかどうかは縁であり、後者に近いでしょう。
「駅や街中で小さい子どもや赤ちゃんを見るのも嫌」、という一文に焦りと努力が実らないことへの虚無感が伺えます。そのお気持ちは一通りではないかと思いますが、どこか努力が実らないことへの虚無感を通り越して、不公平感や妬みにまで気持ちが展開しているのではないでしょうか。加えて、努力が思い通りにならない、努力すれば必ず叶うはずだという力みを感じます。
努力できるところはしているのだから、後は縁に任せるしかない。
そういう力の抜き加減を工夫する必要性を感じます。
2・夫婦としての足元を固める
「普段は優しいし不妊治療にも協力的」なご主人とのコミュニケーションが上手くいっていないようです。視点が「不妊治療」に注がれていますが、大きく考えるとあなたとご主人というご夫婦がどのような幸せを築いていくか、この前提の上に妊娠はあるのではないでしょうか。
ご主人の人生があり、あなたの人生がある。
ご主人の幸福があり、あなたの幸福がある。
これを、最大公約数で重ね合わせるのが夫婦である。
そう考えるならば、今あなたはご主人とどのような幸せを現在進行形で築いているでしょうか。第三者のドライな言い様に聞こえるかもしれませんが、先に述べたように妊娠できるかどうかは最終的には縁だと思います。ただ、万が一授からなかったときに、あなたとご主人、夫婦としての人生は喜ばしいものとなるのでしょうか。
未来の妊娠を切に願う気持ちは、切実ではありましょう。
ただ、その一方で現在という足元が見えているのか、そこをお考えいただきたいのです。孤独に陥らないよう、悲喜こもごもをご主人と分け合うという気持ちの柔らかさが今こそ必要なのでは、と思いました。