「恥ずかしい自分」という捉え方回答受付中
恥ずかしい自分という捉え方を改善したいです。
学生時代は大学受験に失敗、資格試験も合格できず、親から「恥ずかしい」「恥ずかしい」と繰り返し言われながら生きてきました。
現在は自分のやりたい仕事をすることが出来ています。
転職直後、親から「おめでとう」と祝って貰いましたが、「恥ずかしい、恥ずかしい言っててよく言うなぁ」と内心思いながら生きてきました。
社会に出てから数年。
給料をいただく大変さを十分痛感していますから、大学受験に失敗し、大東亜帝国のどこか大学に学費を納めるみじめさから親から「恥ずかしい」と言われるのも今は十分理解しています。
自分は恥ずかしい存在だ
というセルフイメージが有るためか、
成長を自分で認めることが中々出来ません。
卑屈になりやすい性格で、
称賛よりも否定されたほうが腑に落ちるのです。
卑屈になりやすく自分で自分自身の成長を認めることが出来るようにするにはどのような考えを持つべきでしょうか。
ご教示賜りたくお願いします。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏様や神様やご先祖様はあなたを喜ばしく思っているでしょう
拝読させて頂きました。
あなたは今まで恥ずかしいと言われて自分もそう思っていらしたのですね。あなたがそう思い悩んでいらしたことを心よりお察しします。
仏様はあなたを恥ずかしいとは決して思わないですし、神様もそうです、ましてご先祖様はあなたを恥ずかしいとは思わないです、きっと健やかに成長なさりあなたの夢が実現なさったことを心からお喜びなさっているでしょうし、誇りに思っているでしょう。
どうか安心なさって下さい。そして決して自分のことをおとしめないで下さい、自分のことを大切に誇りに思って下さいね。
あなたがこれからも多くの素晴らしい出会いやご縁に恵まれ、健やかに充実した人生を生き抜いていかれます様に切に仏様や神様やご先祖様に祈っております。そしてあなたを心より応援させ頂きます。
苦の表現の一つですね。
ご質問ありがとうございます。まず現状を分析し、後半で「方法」をお伝えしますので、最初はややキツイ表現が続きます。けれど頑張って読み進めて欲しいです。
私は、挙げられた大学へ学費を払うことが恥ずかしいとは全く思いません。
たとえ東大に合格したとしても、そこへ通わない、サボるのは恥ずかしいと思いますけど。
つまり「どこに属しているのか」より「どんな行為行動をしているのか」についての評価だと思いますよ。
あなたの親御さんは、50あるいは60代であろうと推測しますが、その時代のままの感覚で話しているのでしょう、古いです。あなたの言う「今は理解しています」というのは、親への敗北宣言のようにすら響きます。
さて、テーマである「恥ずかしい」について考えましょう。
それらの大学に入る🟰恥ずかしいこと、なのでしょうか。入った全員がそうでない限り、それは成り立ちません。では、なぜあなた乃至お母さんにとっては恥ずかしいのか。それは苦だからです。理想と現実のギャップだからです。「本当は〜のはずだ。だけど現実はそうじゃない。ああ苦しい。恥ずかしい」というのが正体です。
ですから、問への答えは2段階あります。
①恥ずかしい、という言葉や気持ちの生じる理屈を正しく理解する。分解する。
②ギャップ解消の方針を決める。理想を変えるか現実を変えるか。「これでいいのだ。この場でできることを頑張ろう」か、「ココに向けで更に頑張ろう」か。
私としては、「今の自分を一旦認め、足場を固める」意味で、前者をお勧めします。「入社したからもう問題ない」なのか「このポジションで僕は何ができるかな?」の違いですから。
追記
「お礼」欄の書き込み、ありがとうございます。敗北宣言、はキツイ言葉でしたが、子育ては親を乗り越えてこそ成就するものです。
どうぞ今ある土台をしっかり踏み締めて、高みを目指していただきたい。最後まで読んでくださって、ありがとうございました。応援しています。
質問者からのお礼
遅くなり申し訳ございません!
お二人とも貴重なお時間を割いてコメントありがとうございます。
拝読して凄い励まされました。
自分を決しておとしめたりせず、大事にしていこうと思います。
じゃないと先祖すら否定することになりますね。
2年前に祖母が他界しております。
真言宗豊山派の菩提寺さまの墓に納骨しました。
親への敗北宣言にも響くはハッとさせられました。恥ずかしいという言葉や気持ちの理屈を理解して、自分はどのような行動をしているのかを考えてみようと思います。
お二人とも貴重なコメントありがとうございました。
感謝合掌。