失言をしてしまいました。
つい最近学生時代からの旧友と会ったときに、旧友に対してとんでもない失言をしてしまいました。その旧友は、学生時代から文武両道で容姿もよく私にとっては憧れの存在でした。卒業してからもたまに会っていたのですが、順風満帆に見える彼の人生がたまらなく羨ましくて仕方なかったです。だんだんと話しも合わなくなってきたと思っていたところで今回の出来事がありました。
別れたあとlineにて謝罪しましたが、めったに怒らない彼が本気で怒っていたところを見るともう、関係修復は難しいのかなあと思っています。
根本的な原因は自分の自信の無さと卑屈さにあると思います。自分は不器用で、メンタルクリニックにも通っており、前の職場ではパワハラにも合いました。転職したことで、自分の人生も少しずつ立て直せてきたと思っていましたが、その旧友に対する羨ましさと自分の気持ちなんてわからないだろうとゆう卑屈さがあり、何を言っても許されるだろうと思っていたのだと反省しています。
反省して繰り返さないことしかできないと思います。しかし、友達の少ない自分が昔からの旧友を失ったことで、自分に対する嫌気と自己嫌悪と寂しさを感じてしまいます。どのようにすれば卑屈にならず対等な人間関係を築くことができるのでしょうか?まとまりのない文章で申し訳ないです。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そういうことありますよね
拝読させて頂きました。
あなたは自己嫌悪を抱えておられ親しい友人に対して卑屈になってしまって大変ひどいことを言ってしまい、怒らせてしまったのですね。あなたは後からLINEで謝罪したのですが、許してくれそうもないのですね。詳細なあなたやその友人のことはわからないですが、あなたはとても後悔なさっているのですね、どうすれば卑屈にならずに円満な人間関係を築くことができるのかと悩んでいるのですね。あなたのそのお悩み心よりお察しします。
あなたはその人が順風満帆な人生を送っていて羨ましく感じてつい自分をおとしめてしまって卑屈な発言をしてしまったのですね。あなたはそのようなことを言っても許されるだろうと思い込んで嫌なことをその人に浴びせてしまったのですね。
どんな風におっしゃったのかはわからないですが、あなたがそう思ってつい言ってしまったのも仕方のないことかもしれません。けれどもその人にとってはとっても嫌なことだったでしょうし、深く傷ついたのかもしれませんよね、どんなに謝っても関係を修復することはなかなか難しいかもしれません。
口はわざわいのもと、ですね。そして心の中の悪意はつい口に出て悪言になってしまい他者も自分も傷つけてしまうことになってしまうのですね。
どうかしっかり落ち着いてご自分のことを省みて下さいね。仏様や神様やご先祖様に手を合わせて心からあなたの思いをお伝えし、心から反省して懺悔しましょう。そして心から仏様や神様やご先祖様に手を合わせて謝りましょう。その人に誠意をもって謝りましょう。そして二度と同じような悪言を言わない様に悪行をしない様に仏様や神様やご先祖様にお誓いなさって下さい。
仏様や神様やご先祖様はあなたの思い全てを優しく受け止めて下さいます、あなたに寄り添って下さいます。
なかなかその人は許しては下さらないかもしれませんが、これからどうか善き考えや言葉や行いを心がけて下さいね。
あなたがこれからの未来を自らをおとしめずに、善き考えや言葉や行いを日々心掛け皆さんとのご縁を大切になさり、毎日を健やかに心から豊かに生きることできます様に心から仏様や神様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌
彼は何に怒っているのかな
はじめまして。かなり焦って書いているように見えます。「まとまりのない文章」と自分でも書いていますね。まずは落ち着いて読んでください。これから少し厳しいことを言いますが、最後まで目を通してほしいです。
さて、私達は日々相談を拝見させて頂いておりますが、実に様々です。いい相談というのは、「問題のおきた現場が見えるような質問」です。一方そうでないのは…「全てを自分なりのフィルターで解釈し、即ち自分を守るための質問」です。厳しい言い方ですが。いまのところ、あなたのは後者です。
○「とんでもない失言」が何だったか分からない。彼が何に対して怒ったのかも。
○なぜそれを言ったのか、自分の弁明に終始している。
○今後を見ているよう(卑屈にならず)で、今回の決着は「友だちを失った」で、それへの対処はスルー
仏教では、「縁は変わっていくが、そうそう途切れるものではない」と考えています。なので「昔のような関係」ではなくなっていくだろうけれど、何らか続いてく。しかも「何を行ったか」よりも「それをどう価値づけるか、学びとするか」を重視する立場です。
あなたは「人を羨ましがらない自分になりたい」を目指そうとしているようですが、そういう気持ちって、自然と湧いてくるものではありませんか?「わー、アイツ凄いな…って、おっとっと、羨ましくないぞ!」とか、難しくないですか?
私だったら…「この間は申し訳ない。お前のことが、本当に羨ましくて、自分の情けなさもあって、怒りをお前にぶつけてしまったんだ。見当違いだった。すまん!」と伝えるかも知れません。つまり、ここで書かれているような、あなたの「本心」をです。これって、不思議と卑屈じゃないんですよ。ある意味開き直りですが、「俺の気持ちなんて分からないだろ」的なお子ちゃま発言とは異なります。
ということで、「ここでの本心を洗いざらい伝える」が卑屈さから逃れる道であると、私は思います。どう行動するかはあなた次第ですが、折角つちかってきた友だち関係、育てて欲しいと思います。