世界が愛おしいので死にたいです
初めて利用させていただきます。
変なタイトルですみませんが、タイトルの通りです。
前提として生きづらさを抱えていますが、具体的な内容は他の皆様と似ていますので省きます。
さて、世界が愛おしいので死にたい、というのは、自分と関係なくまわっていく世界が美しくて人の営みが愛おしくて、それで満たされるのでもうそれ以上は要らないな、と思った次第です。
具体的にいうと、今日も朝がきて、日ののぼる位で鳥が鳴き始め、風がふいて、人や車の動く音がして、川がたえず流れていて、犬の散歩をする人がいて、花は咲いて・・・朝の一部だけで、美しく愛おしい事柄をもっと挙げられます。偶然に生きて、世界が生きている中の一部になれて、本当に幸福なことだと思っています。それは私の中で、どんな成果や名誉や資産よりも大切なことです。
だからもういいのです。
生きづらさは私が生きていく上での問題です。
私の感じる幸福はもう世界がいま在るだけで足ります。
このような考えは、仏の道に通じているお坊さんからは、どう映るのでしょうか。
よろしければご回答お願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
素晴らしいが、もう一歩
愛することができているのは素晴らしいことです。
何事もない日常を捉える感性も素晴らしいと思います。
しかし、あなたは人が築き上げた社会、人から与えられたを眺めているだけです。
美術館で絵を眺める人は、"美術のファン"であって美術家ではありません。
となりますと、社会を眺める人は社会人ではなく"社会のファン"なのでしょう。
"美術のファン"は社会人であるなら、"お金"という形で美術に貢献できますが、"社会のファン"として眺めている分には何も貢献できません。
これは出家をする仏教も同じです。
だからこそ、街に戻り、教えを説き、救いを広げる大乗仏教というものが生まれたのです。
あなたは、社会のファンでありながら社会の醜いところはスルーしています。
なぜなら、あなた自信が生きづらいのもまた、社会の一部のはずだからです。
だとすれば、あなたと同じ境遇の人が、あなたの景色に入る様に頑張ることができたら、もっともっと素晴らしいことになるでしょう。
向上心を持つのは本人の自由ですが、まだまだ上はありますよ。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
社会の醜さとは、負の側面でしょうか。社会も人も、負の側面含めて愛おしいと感じています。なので、どうしても嫌でストレスを感じるような人がいても、愛おしいとも思ってしまって苦しむ場面があります。
それを含めても、自分の幸福ばかり考えて満足していましたね。
何も持たない人間ですが、次の世代を思ってみます。
相談させていただき、ありがとうございました。