自分の存在価値がないと気づきました
毎日寝る以外は必死に勉強して、夢に向かって向上しようと努力していますが、
家族は勉強して向上する事を責めて来ます。
若い頃も自分を犠牲して一生懸命家族のサポートをしましたが、感謝もされません。
周りはただ、前向きで、楽しんで生きればいいと言いますが、経済的にも余裕はありませんし、
全て年齢で差別される現実に絶望しかありません。やみくもに頑張ってと言って去っていく人もいました。
それでも自分を鼓舞して、人に善意と自分なりに優しさをだそうとしてますが、都合の良い存在としか捉えられず
自分の存在価値って無いなと感じています。
お金を出した時だけ人は態度をかえる事にも疲れました。
こんな私ですが、人を憎まず
これからも生きていくために
アドバイス頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どうなったら満足なのか、一度ゆっくり整理してみては?
ご自身が夢に向かって努力しているが、家族からは責められるように感じるのですね。自分を犠牲にして家族を支えてきたのに感謝もされていないと感じられているのですね。周りも自分を都合の良い存在と捉えているように感じている。自分の存在価値がないと感じ悩まれているのですね。人を憎まず生きていきたいと思っておられる。
お辛いですね。私が感じたのは、何歳からでも勉強すればいいですし、今貴方がそうやって学びをされているのは素晴らしい事だと思うのです。それ自体が素晴らしいのですから、人に何と言われようと続ければいいと思うのです。貴方のやるべきことは分かっている。しかし貴方は皆に認められたいという心があるのですね。そして自分を犠牲にしてきたという思いがある。どうしてあなたはそう思うのでしょう?どんなことがあったのか?そしてどうなったら満足でしょうか?そうしたことを一度ゆっくり整理することが必要だと思います。一度、カウンセリングなどに行き今までの自分の歩みをまとめ、どう成りたいのか丁寧に整理する時間を作ることが大切だと感じます。
仏教的に考えれば、周りの人は自分の思い通りにならないものです。思い通りにならないものを思い通りにしようとして私たちは苦しみます。貴方は周りから認められたいと思っていることが伝わってくるのですが、周りに評価される事だって思い通りに成りません。できることは、今の自分尽くして生きていくことだけだと思うんですね。ある意味他人の評価は諦める。やはり人は、どこかしらで他人を自分の都合だけで他者を見てしまう存在だと思うのです。そうありたくないなら、あなただけは、他者をそう見ない人に成ることしかできないでしょう。貴方が人を自分の都合で見ない人に成るしかない。
他者によって決められる存在価値をもう手放すしかないと思う。自分がどのように生きるのかだけです。全て年齢で差別されるという事も果たして本当だろうかと思うのです。今の日本社会は確かに、年齢が若い方が学びには有利な感じがします。しかし、お年を重ねて学び直している人は沢山います。そういう人たちの話しをもっと聞いたらいいと思います。1、2の例で決めずに何十人にも話しを聞いてみて下さい。さて、他を恨まずに生きていきたいという事ですが。デヴィット・フォスター・ウォレス著『これは水です』という本を読んでみて下さい。貴方にお勧めの本です。
質問者からのお礼
ありがとうございます。興味がでて、是非読みたいと思いました。
キャリアアップを年齢で否定されましたが、必死なため視野が狭くなってるのも気づきにくかったです。経済的に自立するために、焦りもありました。
新しい人間関係も含め、少しずつ行動にうつして行きたいです。
親身なアドバイス本当にありがとうございました。