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看取り

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有り難し有り難し 22

6月4日に父が他界しました。肺がんで、72歳でした。
2週間母が病院に寝泊りして看病する状態でした。

父が亡くなる日、私がたまたま早く会社をあがっていたので、母が一度自宅へ戻る間に私が付き添っていました。
まさかその日その時間に逝ってしまうとは・・・

最期に会話したのが冗談話しでした。
前々日には感謝の言葉を交わしていたものの、最期がこんな会話になるなんて・・・
その思いと、なぜ私が最期を看取ることになってしまったのか?が今でも心にひっかかってしまってます。
父は最期に言いたかったこと、なかったのか?
看取ることってタイミングだけの話なんでしょうか?
教えてもらえたらうれしいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

息を引き継ぎたかった

りこぴんさん、こんにちは。
まず、お父様のこと、お悔やみ申し上げます。

肺がんで、72歳でいらっしゃった。年齢があがるにつれてガン罹患率は高くなると聞きます。みなさんがどのような人生を歩んでいらっしゃったかは分かりませんが、家族にとって心の揺れる日々でしたでしょうか。
2週間、お母様が寝泊まりするほどとのこと。そろそろ・・・とお医者様に言われていた時期だったのかと想像します。

「人の命は、この呼吸にある」
と禅宗では申します。人の命とは、ただこの一呼吸のなかにある。
ひと呼吸、ひと呼吸のなかに私たちの生活は存在します。
歩きながら呼吸をして、仕事をしながら、寝ながら、ご飯をたべながら、笑い話をしながら。

お父様は、あなたに看取ってもらえて良かったのではないでしょうか。
「最後のひと呼吸をあなたに託した」、そう思えませんか。
笑い話でも、感謝の言葉でも、言葉ではない何かを。きっとお父様はあなたに伝えたいことをすでに伝えていたのです。分かりにくいことですが。
 
 
余談ですが、わたしの知り合いに似た境遇の方がいらっしゃいます。
日頃お世話をたくさんしていたお孫さんではなく、日中仕事にでている息子さんが看取った・・・こんなことあるのかと。
もちろん、いろいろな状況があるようです。物理的にはだれも近くにはいなかったけれど・・・、すこしベッドを離れていた間に・・・、親族が集まる前日に・・・、など。

ほんとうに不思議なことです。

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「縁」

りこぴんさま
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

付ききりでお父さまを看病していたお母さまが自宅に戻り、りこぴんさんが付き添っている間にお父さまが亡くなってしまわれた。
そのことに、何らかの意味があるのだろうかと思い悩んでいらっしゃるのですね。

私は、それは「縁」としか申し上げられません。
そして「縁」は人間には測り知ることの出来ないものです。
ですので、心にひっかかっているかもしれませんが、それについて思い悩んでいては、お父さまも「悩ませてしまって申し訳ない」と思われるのではないでしょうか。

また、お父さまと最後に交わした話が冗談話だったとのこと。
これはこれで、良かったのではないかと思います。
感謝の言葉でも良かった、冗談話でも良かった、他の話でも良かった、ケンカでも良かったのだと思います。
お嬢さんと言葉を交わし、看取ってもらえた。お父さまは幸せだったのだと思います。

話は変わりますが、人間は機械と違ってスイッチオフで死んでしまうわけではありません。
心停止すると医師は「ご臨終です」と言って死亡時刻を記録しますが、一瞬で全機能が停止し、全細胞が死んでしまうのではないようです。

特に、聴覚は最後まで残っていると聞いた事があります。
お父さまが亡くなり、お母さまはどれぐらいで駆けつけたでしょうか。
たとえある程度の時間が経っていても、妻の声に安堵を覚え、お父さまは旅立たれたのだと思います。

もし聴覚すら無くなってしまうほどの時間が経っていたとしても、長年連れ添った妻の気配を感じて、安らかに命を終えたのではないでしょうか。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

命をつなぐ

お父さん、大往生でしたね。

また必ず、いつの日か再開出来ます。

人間には、必ず身体に終わりが参ります、でも、命は終わら無い。

私達の身体の寿命が尽きた時に必ず再開出来ます。

今はただ、お父さん、良く頑張ったね、お疲れ様、ありがとうと、念じてあげて下さい。

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長谷雄蓮華 (ラジ和尚)
ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市...

質問者からのお礼

ありがとうございました。

母のことを思えば、私じゃなくという思いが強く、なぜ私?を考える日々でした。
今はあまり考えないように生活しております。
いろんな思いを抱えて生きることを父の死後感じています。

なごみ庵 浦上様 ありがとうございました。
そうですね、父を困らせてしまいますね。私だったことは縁ですよね。母には申し訳ないですが、血のつながりと思って・・・ですね。
看護士さんにも言われました。耳は最期まで聞こえてるからと、2時間ほど、泣きながら家族が揃うまで、呼び続け、話してました。脳波は時々反応していていたのはわかりました。人の死を私は始めて目の前にして考えすぎてしまった感じですね。
気持ち楽になりました。

大法寺長谷雄蓮華様
ありがとうございます。感謝の気持ちを位牌前で念じてます。
今日が月命日です。
月日が経つのは早いものです。
いつか再会できる日までいろいろ話したいと思います。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

母が先月亡くなりました

初めまして。お世話になります。 母が先月脳出血で倒れ、1週間後に亡くなりました。 実家と私が住んでいる場所は遠方で、倒れたと連絡があってすぐ帰ったのですが、コロナ禍で感染対策上入院している母には会えませんでした。 倒れてから意識はあった様ですが、その日の晩に容態が急変し、緊急手術になりました。以降、意識は回復せず、面会ができたのが入院から4日後でした。 呼びかけても、母は、返事もできず、目もあけてはくれません。その週に亡くなりました。 年末年始は、毎年帰省していましたが、コロナ禍もあり、今年は帰省を諦め、2月に帰るからねと年末年始話をしていたところでした。連休がある度に、帰省をしていたのですが、昨年はコロナの影響があり、夏に帰省して以来、帰ることを自粛していました。 元気な母に直接会えずに、この様になったことや、意識ある際に、何かしらの手段で声をかけたりできなかったのだろうかとか、母の健康管理をもっと前から私ができなかったのだろうか等、、、悔やむことばかりです。 母は、いつも家族のことを優先に考え動いていた母でした。 苦労も多かった人生だったと思います。 私も母には迷惑や心配をたくさんかけてきました。 倒れて帰省しても、面会もなかなか許されず、実家にいるだけで、倒れた際も、倒れてからも何もしてあげれなかったことが悔しいです。 まだまだ母としたいこともありましたし、頻繁にメールをしていたので、メールもしたしいですし、母と色んな話をしたいです。 母がいなくなり、父も私も心にポッカリ穴があくとは、この様な状況なんだなぁ…と思いました。人生で1番辛いです。母がいなくなり、こんな辛く悲しい人生、生きている意味なんて無いとも思えてしまいます。 母は、嫌だと言うかもしれませんが、来世でも、また母の子供でいたいです。来世では、ほぼ異なる人生を歩むと聞きますが、来世も親子でいることは難しいのでしょうか。

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父の死のあとに生まれた命

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なぜこうなったのでしょうか

以前、海外に住んでいました。 2、3年に一度くらいしか日本に帰ってくることが出来なかったのですが、ある年、久しぶりに帰ってきて、大好きなおばあちゃんの家に行く約束をしました。約束の日の何日か前に、おばあちゃんと住んでいたおばさんから電話があり、何が食べたいかなど聞かれました。電話の最後に、今おばあちゃんが隣にいるから話す?と聞かれたのですが、会った時に話すからいいよと電話を切りました。おばあちゃんはその2日後に亡くなりました。数年ぶりに会えるはずだった日の、ほんの2日前でした。おばあちゃんとは本当に仲が良かったです。本当に可愛がってくれました。大好きなおばあちゃんだったのに…なぜあの時電話で話さなかったのか。後悔で苦しみました。海外に戻った時、仕事の後にお酒をがぶ飲みして、大声で泣いて、床を転げ回るほど感情をぶちまけました。 おばあちゃんの死から1ヶ月くらいした時に、おばあちゃんが夢に出てきて、おばあちゃんを抱きしめた夢を見ました。夢の途中でも実際に自分が泣いていたのがわかりました。その日から、なんとなく後悔から立ち直り始めました。 数年前、家の事情で日本に旦那と来ました。今年の初めには子供もでき、心配していた両親に初孫を見せることができました。そんな中、父親が亡くなりました。何年も前に胃癌で胃を全摘していたのですが、腸閉塞になり、入院をして経過観察の後、手術をしたのですが、翌日、突然亡くなりました。本当に突然。入院するまで本当に元気だったのに…コロナでろくに面会も出来ず、孫には入院してから一度も会えずでした。 私はというと…父が心配で実家に戻っていたのに、手術が決まった前日に母と喧嘩をして、自分が住む家に帰ってしまっていたのです。帰る前に、父の顔だけでも見に行こうかなと、本当にその時に思ったのに、『また次に来たら会えるからいいや』と、帰ったのです。最後に会える機会を、話を出来る機会を、また、自分から捨てたのです。 私は父が大好きでした。父は素晴らしい人でした。人並みの失敗もあっただろうけど、家族を一番に大切にした、本当に素晴らしい人でした。 おばあちゃんの時も、父の時も、私は最後に話せる、会える機会を無駄にしました。なぜ?父の死から半年が経ちますが、未だに突然苦しくなって涙が止まりません。夢にも出てきてくれない。どうしたら、これを乗り越えられるのでしょうか

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会ってない父が死に色々考えてしまいます

3年ほど会っていなかった父が亡くなりました。いい父親というわけではありませんでしたが彼なりに子供思いの父でした。 最後に会った時は私の離婚騒動で、再構築するにあたり迷惑をかけたお詫びに行った時です。 そのあとは2、3ヶ月に1回父から「大丈夫か?優しくしてもらってるか?」などの電話が来て少し話す程度でした。 神奈川と埼玉、遠いいけど会えない距離じゃない、いつでも会える、と思い次は会おう来年は会いに行こう、などとずるずる時間が立ってしまい会えずじまいでした。 祖母が入院して、世話をしながら1人で耐えられずお酒に逃げた父を思うととても申し訳なく辛くなります。安らかな死ではなかったです。 いつも私を思っていてくれたのに、私は自分の生活で父のことなんてあまり考えてはいませんでした。 あの時あっていれば、電話していれば、ずっと考えてしまいます。時間が経てば幸せな記憶と一緒にたまに笑顔を思い出し安らげる日が来るとは思いますが、今は後悔ばかりです。 いい娘ではなかったし迷惑や心配をかけっぱなしでした。 声が聞きたいし顔が見たい。 いつか記憶の顔が朧げになるのが怖い。 親不孝ばかりした私を嫌いになってしまわないか。いつか会えるのか不安でたまりません。

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前に進む方法が知りたいです。

大好きだった父が亡くなってしまい、毎日後悔ばかりしています。 父は田舎から15歳で上京してずっと働いて 育ててくれました。 不器用なところもあり職場を転々としながらもずっと仕事詰めで家計を支えてくれました。 夜勤もあり拘束時間の長い仕事でした。 私は高校を卒業して浪人をしても、第一志望の大学に合格出来ず、私立は経済的に難しかったので進学しませんでした。 その後直接父には言っておりませんでしたが、 父が病気になってしまったことから、医学部に行きたいと思うようになり、社会人で働きながら受験をしておりました。 休みの日は図書館に通っておりましたが、働きながら勉強するのは想像以上に難しく、仕事から帰ってきた後勉強せず寝てしまったり、なかなか勉強時間の確保も出来ず結果が出せませんでした。 最近、父はようやく出勤する日が減り、少し休みが出来るようになっていましたが、最近、急に容体が悪くなり、救急車を呼んで治療をしてもらいましたが、そのまま亡くなってしまいました。 先生からは本当は夜勤の仕事をするのもよくないと言われていたのですが、家計のためにずっと頑張ってくれていました。 完治は出来ないと言われて長くないと分かっていたのに、家族に弱みを見せず働いてくれていて、最近は出勤日が減り、会社から辞めなさいと言われるまでずっといようかなと言っていたのをいいことに、(父は少し口うるさいところがありほぼ毎日母と口喧嘩していたので)家にずっと居られても嫌だな、父もそう言ってるしなんとか今の仕事は少し休みながらでも続けて欲しいなと思い、また、子供の自分が親の仕事のことに口出しするのは、と気が引けていたのですが、仕事をするにしてももっと楽な仕事をもっと早く探してあげるべきだった、もっと色んなところに旅行に連れて行ってやるべきだった。もう今更そんなことばかり考えてしまいます。 父が病気になっても自分のことしか考えず、 結果も出せず、本当にクズで最低だったと思います。 このままだらだらと時間を浪費するのだけはダメだと思っているのですが、ふとしたことで父を思い出すと泣いています。 前に進む方法が知りたいです。 宜しくお願いします。

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