自宅敷地内の観音様について
以前、被災した義理の両親との同居を解消することに悩み相談させていただいた者せす。同居して2年が経過しようとしています。相談させていただいてからも、主人とは何度も離婚の話をしてきました。お互いこのストレスに疲れてしまっていたのです。そんな不仲の私達のことをみて、義理の両親がなぜか私達のことで結婚後過去最悪の喧嘩したそうです。
そして、この家からは出ていき、シングルマザーで2人の子供を育ててい
る義理姉のことをサポートしにいくことときめたようです。
そこで、ご教示いただきたいことがあります。
彼らがこちらに来る時に、代々祀ってきた観音様を我が家敷地内に、被災地から持ってきました。観音様と呼んでおりますが、どうやら昔の誰かのお墓らしいのです。主人のひいおじいさまの夢に、出てきて「掘ってくれ」とお告げがあり、掘ったらでてきたそうです。それから、その観音様は震災でなくなってしまった自宅近くの山に祠を建て祀られており、代々引き継がれていたようです。
こちらに持ってくるという話の時、私は「海を眺める場所にあったものだし、観音様はあの場所が好きだろうから動かすべきではない。」と言い、また、正直、新しい住宅地なので周りも若い家族が多いため気味悪がられたりされるのではないか、という気もして反対してました。
今、観音様は庭にあり、ホームセンターで購入した物置小屋を祠のようにして祀り、義理母が毎日お水をあげています。
これから家を出で岩手県に戻るとのことで、私は上で申し上げた理由2点から、あちらに戻して欲しいと思っています。
しかし、主人も含め、こちらに置いておきたい、といっていますが私は、義理の母ほど、その観音様に愛着が持てず管理ができる自信もありません。主人は週1くらいであればお水とご飯を供えそうですが、今までの仏壇へのお供え状況を見ていると私より頻度が少いので怪しいです。
こんな雑な夫婦のもとに観音様を置いておいて良いのでしょうか。
それで観音様は幸せでしょうか。
昔、観音様のお供え等をサボっていた時期に義理父が仕事で指を切断したそうで色々と怖いです。
今後どのようにしたら観音様は幸せですか?
ご教示ください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたがにこやかで過ごすことが観音様の幸せと存じます。
ですから、観音さまをもとにもどそうが戻すまいが、
観音さまにはまったく関係ありません。
指が切断したとかなんだとかは、
ただ「不注意」なだけです。
人間不注意はいけません。
物事を悪しく考えたいお気持ちは、
だれもが持っている人間の、動物としての本能です。
その「動物の本能」をどのように「人間」にするか。
ここが大切です。
動物の本質は「恐れる」ことです。
恐れるがゆえに、拒絶したり不安になったりするのです。
それはもはや、自分で自分を地獄に落としているような
ものです。
しかし、ちょっとしたことで、そうした地獄が変わる瞬間があります。
それは「いたわること」
相手の痛みを、感じることです。
相手の喜びを、感じることです。
実は観音さまの幸せとは、そうした「いたわること」そのものであります。
観音様の御功徳を謳ったお経、観音経世尊偈というところに、
念々勿生疑 観世音淨聖
於苦悩死厄 能爲作依怙
とあります。
訳しますと、
「観音さんのチカラを疑ってはいけません。
観世音菩薩、つまり浄き聖(ひじり)は人々の苦悩と、
死などの災いに際してそのひとのための、尊き依怙(よりどころ)
となるのです」というものです。
苦しみにあるひとのそばにありたい。
それが観音さまです。
あなたのそばに観音さまがきた、ということは、
あなたの御傍で、あなたの苦しみを少しづつでも
取り除きたいと願われたからであります。
あなたは、その観音様のいきさつから
なにか「得体のしれないもの・不吉なもの」と、
御自身の思いを膨らませ、
それによって御不安になっていかれたのでは
ないでしょうか。
それは観音さまに限らずではないかと感じます。
実はだれよりもあなたの「さちあれ」を願うこころを、
得体のしれないものと、してしまっているかも
しれません。
その頑ななこころを解きほぐすために
あなたのもとに「得体のしれない観音さま」が
きたとするならば、
これほどの「縁」はないものだと、小生は感じるのであります。
しかしもちろん
あなたの思うように、海のそばのどこかのおてらさまに
御奉納いただくもよしです。
先に述べた如く
あなたがにこやかで過ごされることが観音さまの
幸せなのでありますから。
さちあれさちあれ。合掌
観音様の幸せよりもあなたご自身の幸せへと向けて
りんりん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
以前のご質問にも回答させて頂きましたが、あれからも同居を巡って色々とありましたようでして・・
この度は、ご自宅に祀られておられる観音菩薩様のご処遇についてでございますが、観音菩薩様のことにつきましては、下記のウィキペディアの内容をまずはご参照頂きましたらと存じます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/観音菩薩
観音菩薩様は、誠に智慧と慈悲を体現なされておられる菩薩様であり、その智慧と慈悲によって、迷い苦しみにある私たち凡夫を様々な変化身にて現れられてお救い下さる誠に慈悲深き有り難き菩薩様でございます。
星大晃様と誠に同じ趣旨のこととなりますが、観音様の幸せ云々のご心配よりもご自身の幸せへと向けて、観音菩薩様の智慧と慈悲の教えを私たちが修習することで、悟り・涅槃へと向けて精進努力していくことが必要となります。
ましてや家族内で喧嘩して争ってしまっていたり、不満やストレスを溜めてしまって心の状態が悪くあれば、観音菩薩様の尊いご意思に添うことではありません。
是非、この機会にも前回のご質問の時にもお答えをさせて頂いておりますが、何事においてもできる限りに助け合い、支え合い、分かち合いのバランス関係を保てるように調えることで、平穏無事に過ごしていけるようになさられて頂けましたらと存じます。
観音菩薩様のご処遇と致しましては、下記の問い拙回答もご参照下さいませ。
問い「生前の写真にお供え物をする事 再問」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002999474.html
「・・一定の尊いものへの配慮、失礼に当たらないような扱いというものが必要になるのではないかと考えております。このことを仏教では「荘厳(しょうごん)」と申しまして、中身は当然として、ある程度形式を重視するのも、形式をその尊いものへの配慮の現れとして扱うからでございます。もちろん、形骸化した中身の無い荘厳であってはいけませんし、何でもかんでも豪華絢爛でなければならないというのではなくて、身の丈に応じて、できるだけ尊いものを尊いものとして扱えるように調えて参りたいというところでございます。・・」
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
星様
ありがとうございました。
観音様は苦しみのある人のもとにいたい。という言葉をいただきまして、
「私達を選んでくれたのか」という有難い気持ちになりました。
私に持病があったり、主人の実家のほうの風習が受け入れられなかったりの葛藤があったので、
そのようなことも含めて観音様が苦しみを取り除きにに来てくださったのかもしれないですね。
前向きに捉えられるようになりました。