豊川稲荷と曹洞宗?
家の仏壇に気が向いた時だけお水やお茶をあげて南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経、海外の知り合い向けにレストインピースなどと唱えていたのですが(別次元へのポータル的な場所で国境は無いという認識で良いでしょうか)、
先日、昭和初期の人事興信録というものを見たところ、我が家の欄には曹洞宗と書いてありました。
祖父は早くに親を亡くし聞くチャンスが無かったのか、誰も南無釈迦牟尼仏と唱えていませんでしたが、今からでも切り替えた方が良いでしょうか。
戦死した親族も入っており、我々のトンチンカンな呼びかけに耐えていたなら申し訳ないです。
先日豊川稲荷が曹洞宗らしいと聞き、以下の出来事も曹洞宗のよしみだったら面白いなと思いましたが、曹洞宗流にお祈りすべきなのでしょうか?(神棚より仏壇?)
もう20年近く前、変わった成り行きで豊川稲荷に辿り着きました…というか、目的地に着く前に具合が悪くなり行き倒れた場所の近くに豊川稲荷がありました。
全ての行程を諦めて帰路に着く惨めな気分の中、同行者(介助者である母)が、近くに随分と立派な神社があると言うので行くと数々の狐の像に動物好きのテンションが上がり、旗の奉納の場所もあったので、自分の健康と経営難の稼業の復活を祈りました。
叶ったのは稼業の復活で、その後ずっと会社は延命。私自身は日常にも病気にも追われ頭はそれで一杯、実は信心深く無いので、たまに思い出して心で感謝と謝罪だけ。
昨年再び経営の危機が訪れ、ふと豊川稲荷のラッキーを思い出し、今まで不義理が酷かったのでもうお願いする立場には無い、と謝礼だけ郵送しました。
すると、謝礼のお返しをくださりました。
思いがけず手に入ったお札…とりあえず即席の神棚に祀りこれまでの感謝と謝罪をしばらく。2〜3ヶ月して実は会社が大変でとお祈りついでに話しかけていました。
今年何故か再びスポンサーが見つかり延命され、この世には見えない何かがある事を教えてくださった豊川稲荷さんには感謝しかなく、できれば一生ついていきたいです。
私個人の願いよりも職場の延命が叶ったのは、職種が多くの人に関わるものだったからでしょうか。会社は延命しているのですが、私の蓄財には大きくは影響せず(入ってきても保護団体の寄付に使ってしまいますが)、ただひたすら多くの人に仕事をまわし過去の総額ですと億単位でお金が動きました。
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諸天善神の功徳
明治時代の曹洞宗の立派な禅師様に奕堂禅師という方がおられます。
曹洞宗大本山総持寺独住第一世弘済慈徳禅師栴崖奕堂大和尚という長いお名前です。
この時代は真に見識を持った方が禅師様として尊重された時代でもありました。
奕堂禅師は求道心もあつく曲がったことが御嫌いで大変厳しく仏法を追求される精神をお持ちの方でした。
その奕堂禅師が授戒会を開かれると、多くの方が「私も私も」と、是非とも法縁を結びたいと集まったそうで、取り仕切る人たちや小僧さん達も大変だったそうです。
戒を授かるとは、仏教の教えにしたがって生きるための戒律を授かるという面もありますが、我々人間がもともと持っている素晴らしい働き(血脈)を自分自身に目を向けて「自覚する(伝戒=覚戒)」という大事な修行でもありました。お釈迦さまの時代から修行とはみな自分の心に目を向けて、自分をみつめて、人間本来の救いの作用に目を向ける事だったわけですから、人は自分が自分を救う力を持っているのです。授戒とはいわば、自分が自分であることの真の確信によって一生の安楽を得るという力強い儀式でもあったのでしょう。
その奕堂禅師が戒師をつとめる授戒会の際にコンコンと夜に訪問者が。たです?
🦊我はダキニ天の使いなり。この度の授戒は高徳の僧によるものと聞いた。ぜひとも授戒会に参加したいコン。
…?
授戒に参加したければ申し込みの戒金を
ごんぎつねではありませんが、ダキニ天は奕堂禅師の下で授戒を受けたという不思議な逸話があります。お持ち下さい。
🦊ならば持ってまいるコン。
?なんだろう…どうせ来んだろう。
しばらくするとそこにお金が置いてあったそうです。正伝の仏法を広め、護持することを手伝う神様は仏法護持の諸天善神、守り神です。今でも本山でも授戒の際に鎮守様は仏法の守り神として授戒を受けるしきたりがあります。
神様、諸天善神とは天地の働き きにして人間の心をつかさどる作用を象徴したもの。心が邪神、邪鬼に巣食われれば人はロシアや売国企業、営利第一のブラック企業のようなおかしな方向に向かいます。
豊川稲荷を初め天神とはあなたの心をより高い人間性に導いて下さる仏法の守護神。
釈尊にも道元禅師にも堅苦しい宗派や流派はありません。作法や流派があるとすれば、あなたが社会から頂戴した経験や功徳を回向して多くの人たちにコンコンと広めて助けてあげることです。