一生の信仰にする宗派を決めたい
私は、夫婦ともども地方都市より都心に出てきて居を構え、菩提寺も信徒としてお世話になっているお寺もありません。
夫の実家は新興宗教信者の曽祖父から独立してできた無宗教の一家で、私の実家も引っ越しの際に墓じまいをしてお寺との関わりがないような状況です。
私の父方と母方の祖父母は浄土真宗と日蓮宗の檀家だったと思いますが、信心深い祖父母の家にいることが多かった私は、仏壇に手を合わせ読経して育ち、結婚して家に入る時には婚家の信仰するお寺のお勤めをするものだと思っていました。
ところが、夫の家が無宗教と聞いて愕然とし、結婚後、数年は我慢してきたのですが…最近になって自分の信仰の場を持ちたいと強く思うようになりました。
上記のことから、これから先、一生の信仰として信徒になり、励めるお寺を探しています。
ところが、コロナ禍になってからというもの、門が開いていてもお掃除の方しかおられないお寺も多く、法話会や写経会が中止となっているところも多々あって、僧侶のお人柄などに触れる機会が少なくなっている気がします。
このような中で自分に合った信仰の場を探すにはどうしたら良いでしょうか。
なお、宗派は浄土真宗、日蓮宗だけに絞ろうとは考えておりません。
住まいの近くには曹洞宗や日蓮宗が多いようですが、隣の区あたりまで範囲を広げて探すつもりでおります。
また、コロナ禍で外出が難しかった折にさまざまな宗派の教義や勤行等調べてみたのですが、どれもとても素晴らしく感じ、なお迷いが深くなってしまい困っています…。
夫、長子との三人暮らし。 幼い頃より片目が見えておりません。呼吸器と消化器の病気や横断歩道歩行中に車に轢かれたことによる入院や手術などが数回ありますが、一般的な方よりも丈夫で回復が早いようで大事に至ったことはありません。 幼少期より信心深くよく神棚を拝み、仏壇に手を合わせて育ち、何かに帰依したいと願っていますが、それが何なのかいまだに分からず迷い続けています。 無知故に迷うのだろうといろんな宗派で読まれているお経を読経や写経するようになりましたが、どれも素晴らしいのでますます迷いが深まっています。
仏教はどの宗派の教えも素晴らしく感じてしまい、信仰に迷いがあります。 子供に関する悲惨な話を聞くと怒りが湧いて腹が立って仕方がなくなります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
釈尊に宗派はないという視点に基づいて
宗派や教団、人数が増えて大きくなることよりも、ちゃんとした人が増えていくことの方が大事だと某国や某教団をみて感じました。
釈尊は人が「救われるための」教えを説かれました。
道元禅師は曹洞宗とか禅宗とも呼ぶなとすら言われました。万人が救われる教えを説いただけのことであるから、別にナンチャラ宗とかそんなもん、言わんでもいいよ、と。以前私の尊敬する老師にこのままでは曹洞宗がダメになってしまうのではないか?と不安に思いご相談申し上げたところ、その老師は「曹洞宗がつぶれたとしても、ちゃんと本物が残ればよいのです。」と。
💡(´-`*)!
…そうか!大切なことは宗派云々という宗派根性よりも確かな救い・実効性のある教えワクチンが広まることの方が大事なのだ、と。
もし今の世にヘンテコリンなエゴイズム教が蔓延したとしても、内部からきちんとした人間性と確かな道理でよりよく有らしめれば宗派や宗教ということよりもそこにちゃんとした人間性、宗教性が生まれるということです。本当のことはなくならない、と。
そういう度量のある教えに触れると宗派にこだわりはなくなりましょう。
信じる者は救われて信じないものは救われないという狭いものではありません。
そもそも、信じるとは「正しい理解」があって「信じられる・任せられる」ようになるもので人間関係やワクチンと同じです。本当にこの人、大丈夫だろうか?よくよく疑ってみることも大事なのです。一生を預けるのに、こんなことで本当に大丈夫だろうか?という姿勢は大切です。
仏教の法話にも、いわゆる一般受けなライトなものもあれば、本当に人生を根底から変えてくれる教え、一切の苦しみから救ってくれる教えもちゃんとあります。
人が生きていくのにこういう生き方でなければならないということは元々はありません。ですが、自他を傷つけ、危害や迷惑をかける生き方、苦しい生き方をされている方はたとえば車の操縦方法ををよく知らないまま自分の身も危険にさらして運転しているようなものです。
人の脳は24時間のうちに「なにを」優先しているか、によって変わります。
どこかの宗派に所属したとしても、当の本人さまがその上で「なに」をしているか?によって、その人の本質がかわるのですから、どこの宗教宗派に所属していたとしても自分史上、人間史上もっとも大切な生き方を本人がやる、と。私共がそれをやるのだ、と。
質問者からのお礼
素晴らしい教えをありがとうございます。
元々は宗派もなかったのですよね。
それぞれの宗派のご本尊や大切にされているお経がどれも素晴らしく感じて迷い続けており、このお経やこの仏様だけを熱心に信じるというようなことができず、このように迷い続けている自分では真っ当な仏教徒になれないのではないかと悩んでおりましたが心が晴れました。
正しいものが残れば良いという師僧様のお言葉にも深く感銘を受け、心より感謝申し上げます。
宗派関係なく尊敬できる僧侶に出会えましたらそちらのお寺の信徒になりたいと思います。
良い出会いがありますように。