日蓮宗にまつわる数字(回数)に関して
日蓮宗のお坊さんに質問させて頂きます。
日蓮上人の御命日でお忙しい中、見て頂きありがとうございます。
本日は「回数」について、決まり事なのか作法なのか、もしくは気にしなくてよいものかお聞きしたく思います。
様々な場で「3」が出てくるように思います。
1)方便品第二の十如是を3回唱える
2)第二や第十六、唱題が始まってしばらくすると、3回お鈴を鳴らす
また、
3)焼香は3回かと思っていましたが、葬儀会社の人に1回でお願いしますと言われたことがある(たまたま参列者が多かったから?)
4)お線香を2本あげていたら、それならもう1本あげて3本に。(と言われたことがある。)
など、です。
その他、信徒であるなら心得ておいたほうが良い回数や数字にまつわることもございましたら、教えてください。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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肝心なのは心の向き先
いちごいちえさん、はじめまして!
鋭いご質問ですね!
少し長くなりますがお話させていただきます。
ご質問いただいた1〜4はそれぞれに意味があるのですが、そもそも仏教には3の数字にとても縁があります。阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)とかまさにですよね。
他にも六波羅蜜、十二因縁など3の倍数が多いです。これを踏まえ、説明していきます。文字数の関係上、専門用語多めで、かなり簡単にしか言えませんがご容赦ください
1)これは十如是に三通りの読み方があるからです。(空、仮、中の三諦の考えからくるものです。詳しく説明は省きます。ごめんなさい。)
2)大勢でお経を読む時の合図のためです。読経中に合掌から叉手(しゃしゅ)といって手を組み変えたりするからです。本当の回数の理由はあるかもしれませんが、3回がちょうど調子をとりやすいからだと思います。
3)と4)基本、ご案内する時は1か3です。どちらかでないといけない!ということはありません。
これには数に意味があります。1回目は悪いものを近づけさせない。2回目は仏さまにその場にお越しくださいという気持ちをもつ。3回目は善神に守護をいただく。
あとは、その場を清浄にしたり、また最初に言った3に縁があるからですね。
葬儀屋さんは「どっちでもいいなら、時間短縮のために1回で」という感じでご案内しているかもしれませんね。(もちろんそんな気持ちで言ってる人だけではありません)
お焼香とお線香に関して色々申しましたが、私が教えてもらった所で言うと「僧侶は3回、在家の皆さんは1回」と聞いたことがあります。
というのも、在家の方はどうしても「あれ?1回だっけ?3回だっけ?」と迷いがちになるからです。そうなると、なぜ焼香をするのかという本質を見失い、意味がなくなってしまいます。僧侶はその意味合いを理解し、きっちり3という数字に向き合う事ができます。
なので在家の皆さんは「一心欲見仏」(法華経の一説です。)という「ただ一心に仏さまに心を向ける・向き合う・見つめ直す」の心で1回または1本にしておきましょうというわけです。
数には確かに意味はあります。ですが肝心のなのはどういった心で仏さまと向き合うかです。この事を念頭において日々のお給仕をして頂ければと思います!
質問者からのお礼
丸田英仁様
はじめまして。ご回答頂きありがとうございました。
阿耨多羅三藐三菩提や「空、仮、中」の三諦など、まだ知識がなく勉強になりました。
ご回答にあった「一心欲見仏」も確かにお経の一説ですね。
現在、見よう見真似や耳で覚えていた一説など、意味を勉強したり理解を深めながら日々のお参りに活かそうとしています。
私が子供の頃に見ていた父の背中(お参りなど)を、今度は私が息子にしていく番かと思っています。
ありがとうございました。