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日蓮宗にまつわる数字(回数)に関して

回答数回答 1
有り難し有り難し 6

日蓮宗のお坊さんに質問させて頂きます。
日蓮上人の御命日でお忙しい中、見て頂きありがとうございます。
本日は「回数」について、決まり事なのか作法なのか、もしくは気にしなくてよいものかお聞きしたく思います。
様々な場で「3」が出てくるように思います。

1)方便品第二の十如是を3回唱える
2)第二や第十六、唱題が始まってしばらくすると、3回お鈴を鳴らす
また、
3)焼香は3回かと思っていましたが、葬儀会社の人に1回でお願いしますと言われたことがある(たまたま参列者が多かったから?)
4)お線香を2本あげていたら、それならもう1本あげて3本に。(と言われたことがある。)
など、です。
その他、信徒であるなら心得ておいたほうが良い回数や数字にまつわることもございましたら、教えてください。
よろしくお願いします。

2023年10月13日 7:56

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

肝心なのは心の向き先

いちごいちえさん、はじめまして!
鋭いご質問ですね!

少し長くなりますがお話させていただきます。
ご質問いただいた1〜4はそれぞれに意味があるのですが、そもそも仏教には3の数字にとても縁があります。阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)とかまさにですよね。
他にも六波羅蜜、十二因縁など3の倍数が多いです。これを踏まえ、説明していきます。文字数の関係上、専門用語多めで、かなり簡単にしか言えませんがご容赦ください

1)これは十如是に三通りの読み方があるからです。(空、仮、中の三諦の考えからくるものです。詳しく説明は省きます。ごめんなさい。)

2)大勢でお経を読む時の合図のためです。読経中に合掌から叉手(しゃしゅ)といって手を組み変えたりするからです。本当の回数の理由はあるかもしれませんが、3回がちょうど調子をとりやすいからだと思います。

3)と4)基本、ご案内する時は1か3です。どちらかでないといけない!ということはありません。
これには数に意味があります。1回目は悪いものを近づけさせない。2回目は仏さまにその場にお越しくださいという気持ちをもつ。3回目は善神に守護をいただく。
あとは、その場を清浄にしたり、また最初に言った3に縁があるからですね。

葬儀屋さんは「どっちでもいいなら、時間短縮のために1回で」という感じでご案内しているかもしれませんね。(もちろんそんな気持ちで言ってる人だけではありません)

お焼香とお線香に関して色々申しましたが、私が教えてもらった所で言うと「僧侶は3回、在家の皆さんは1回」と聞いたことがあります。

というのも、在家の方はどうしても「あれ?1回だっけ?3回だっけ?」と迷いがちになるからです。そうなると、なぜ焼香をするのかという本質を見失い、意味がなくなってしまいます。僧侶はその意味合いを理解し、きっちり3という数字に向き合う事ができます。
なので在家の皆さんは「一心欲見仏」(法華経の一説です。)という「ただ一心に仏さまに心を向ける・向き合う・見つめ直す」の心で1回または1本にしておきましょうというわけです。

数には確かに意味はあります。ですが肝心のなのはどういった心で仏さまと向き合うかです。この事を念頭において日々のお給仕をして頂ければと思います!

2023年10月14日 8:34
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有り難し
おきもち

仏教的、お坊さんらしいお答えは出来ないかもしれませんが、 皆様と一緒に、...
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質問者からのお礼

丸田英仁様

はじめまして。ご回答頂きありがとうございました。
阿耨多羅三藐三菩提や「空、仮、中」の三諦など、まだ知識がなく勉強になりました。
ご回答にあった「一心欲見仏」も確かにお経の一説ですね。
現在、見よう見真似や耳で覚えていた一説など、意味を勉強したり理解を深めながら日々のお参りに活かそうとしています。
私が子供の頃に見ていた父の背中(お参りなど)を、今度は私が息子にしていく番かと思っています。
ありがとうございました。

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今のところは実家は浄土真宗、自分は浄土宗の信者を自称していますが、なかなか僕の婚活がうまくいかない事を見かねた両親が近所の占い師に相談したら、高野山で祈祷してもらえと言われたためにこのお盆休みに高野山に参拝したところ、今まであんまり興味なかった浄土門以外の仏教も良いもんだなあという気になってしまいました。 そこで深く考えると、この現世を穢土とみなして、自分の考え・善行を自力と呼んで否定する法然上人以降の浄土教の教義に染まっているために、よく指摘される周りとの感覚のズレが生じてしまっているのではないかとも思えてきたのです。もっと今生きているこの世を肯定的に捉える教えでも良いんじゃないかと。 また、もし首尾よく結婚できたとしたら今回祈祷してもらった愛染明王さまも僕の中で特別な仏様になるでしょう。そうするとますます専修念仏とは遠ざかりますね……。 ただ、慣れ親しんできた顕教を捨てて密教100%の真言宗まで振り切る勇気はないので、新たに選ぶとしたら空也・源信流の浄土教を伝手として天台宗かなと思っています。僕が一番信仰しているのは善光寺如来で、善光寺は浄土宗と天台宗の共同管理でもあることなので。 ただ、天台宗は称名念仏ではなく観想念仏だと言われますがそれをやり切る自信はないし、朝題目と言われても某新興宗教団体へのアレルギーから南無妙法蓮華経と毎日唱えることには少し抵抗を感じます。こんな気持ちで天台宗に行くべきではないでしょうか? 天台真盛宗というのもあってそこは南無阿弥陀仏の念仏メインだそうですが、ここでも南無妙法蓮華経は唱えないといけないでしょうか?(明智光秀が好きなのでその点は西教寺も良いなと思います) なんだかとりとめもなくなってしまいましたが、早い話が来世の往生だけを期待する専修念仏の枠組内には居られず、現世でもいろんな菩薩・明王・天・神道の神々に頼んで幸せに生きたいけど主尊としては今まで通り阿弥陀さまに居てほしいし、さりとて職業を持つ在家の身なのであまり観想念仏のような難しい行を求められても困る……というわがままな悩みです。

有り難し有り難し 3
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私は、夫婦ともども地方都市より都心に出てきて居を構え、菩提寺も信徒としてお世話になっているお寺もありません。 夫の実家は新興宗教信者の曽祖父から独立してできた無宗教の一家で、私の実家も引っ越しの際に墓じまいをしてお寺との関わりがないような状況です。 私の父方と母方の祖父母は浄土真宗と日蓮宗の檀家だったと思いますが、信心深い祖父母の家にいることが多かった私は、仏壇に手を合わせ読経して育ち、結婚して家に入る時には婚家の信仰するお寺のお勤めをするものだと思っていました。 ところが、夫の家が無宗教と聞いて愕然とし、結婚後、数年は我慢してきたのですが…最近になって自分の信仰の場を持ちたいと強く思うようになりました。 上記のことから、これから先、一生の信仰として信徒になり、励めるお寺を探しています。 ところが、コロナ禍になってからというもの、門が開いていてもお掃除の方しかおられないお寺も多く、法話会や写経会が中止となっているところも多々あって、僧侶のお人柄などに触れる機会が少なくなっている気がします。 このような中で自分に合った信仰の場を探すにはどうしたら良いでしょうか。 なお、宗派は浄土真宗、日蓮宗だけに絞ろうとは考えておりません。 住まいの近くには曹洞宗や日蓮宗が多いようですが、隣の区あたりまで範囲を広げて探すつもりでおります。 また、コロナ禍で外出が難しかった折にさまざまな宗派の教義や勤行等調べてみたのですが、どれもとても素晴らしく感じ、なお迷いが深くなってしまい困っています…。

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