希望を見出す意味とは。
令和4年も半年余りが過ぎ、自宅近くでも紫陽花を見かけるようになりました。
まだ、雪が降る寒かった時期に予期せぬ緊急性の病気で入退院を繰り返して
病棟から見える雪景色、夕日を病棟患者さんと一緒に眺めたことを今でも
覚えています。
4か月近く、健康面で大きな壁に直面、慣れない環境での日雇いアルバイトを
して生活費の一部として、就職活動も続けていました。
再就職活動で結果が出せず、一喜一憂の毎日、自暴自棄にもなりました。
インターネットで楽になりたい等を調べて、実行することはなかったですが
平常心ではなかったと思います。
再就職の道筋が見え落ち着き、生活面でも再建であの手この手で模索を
繰り替えていて心が落ち着かない時間です。
希望を見出すこと、一喜一憂をしながら自分で見つけてゆくものかを
感じています。
先日、歌舞伎役者さんが「人生のなかで次から次へ起こることに対し、悔いのない決断をすること」と仰っていました。
その言葉が気持ちの中で支えの一つにもなっています。
それが希望を見出す意味なのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お腹が空いたら食べるのと同じ
難しく考えなくても良いのかもしれません。
お腹が空いたら何か食べる、眠くなったら寝る、寒いなら着る、お金が無いから働く。
それで良いのです。
お釈迦様は、一切皆苦という真理を悟られました。
生き物から苦しみが無くなることは無い。それが真理なのです。
毎日毎日の苦しみ(宿題)は無くならない。ただ、苦しみ(宿題)の形が変わっていくだけ。
でも、小学校のときに毎日宿題があっても、面倒くさかったけど不幸というほどでもなかったでしょう?
宿題があるのは当たり前だ、と真理を受け入れていたら、べつにそれが普通。
できる問題をできる範囲でやれば良いのです。
どうせ人生はできることしかできないのだから。
苦しみ(宿題)は不幸であるという錯覚を破る。
障子に映る影を毎晩幽霊だと思って怯えていたが、ある日、それが柳の木の影だと気付いたら世界が変わってしまう。
そのように、「一切皆苦」というお釈迦様の教えに気づけたら幽霊退治ですね。
結論。「人生全般をリラックスしてみては?」
質問者からのお礼
お教しを頂いたメッセージを何度も読み返し、仰るとおり難しく考えてしまっています。
普段の生活や今までの仕事に於いても、同じようなことがありました。
お腹が空いたら、ご飯を食べるような何処かに楽をすることも必要ですね。