亡父の死期を早めたかもしれません。
お釈迦様に料理を供して、結果的に死に至らしめてしまったチュンダの話。
チュンダはその後、どうなってしまったのでしょうか?
自分と重ね合わせて考えてしまいます。
神経難病で長い闘病の末、89歳で亡くなった父親。
ほぼ末期に近いと医師からは言われ、せめて自分に何が出来るか考えて、
父の大好きなコーヒーを許可を得て持っていくことにしました。
10日程経って、ある日突然父が腹痛と嘔吐を訴え、吐血をし、
それを誤嚥したことがきっかけでみるみる容態が悪化、
1か月余で亡くなりました。
仕事をしながらの介護・入院・看取り・葬送、
その後の諸々と振り返る余裕もなく時は過ぎましたが、
少し振り返れるようになった今になって気づいたことがあります。
吐血をした前の日、
いつもの通り仕事帰りに病院に行き、
夕食介助の後、私は父に持ち込んだインスタントコーヒーをトロミをつけて飲ませました。
父はあまり声が出なくなったのに、
「あぁ、コーヒーはやっぱり美味しいなぁ」とその時はハッキリ言いました。
それが本当に美味しそうだったので、今もありありと思い出します。
そして、翌日の昼頃に腹痛と嘔吐を訴え吐血したのですが、
あのコーヒーがその原因ではなかったかと。
会社で私も飲んでいたインスタントコーヒーを夕方ポットに作って持って行ったのですが、
そのインスタントコーヒーは何か月も前に開封したものでした。
健康体の私には特に差支えはなくても、父の弱った体には酸化したコーヒーが害があったのではないかと。
内視鏡検査も出来ない全身状態で、原因を特定できなかったのですが、
一日でも長く生きて欲しいと心から願っていたのに、
私が父の命を縮めてしまったのではないかと。
取り返しがつかないだけに苦しいです。
こんな罪を背負って、生きていっていいのかと思います。
私が死んで詫びたところで、どうにもならなのは承知です。
救いが欲しくて、読んだ仏教の本の中に、
チュンダのことが書かれていました。
チュンダは自分のせいでお釈迦様が亡くなったと、苦しみ続けて
それでも尚生きたのでしょうか?
私はどう償えばいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
供養を積む人・仏性のある人
つみびと 様
あなたは悪くありません。お父様のためを思って施しをしたのです。
チュンダの供養は、お釈迦様は「私が完全なる涅槃に入るための供養であり、もしチュンダが後悔したり、他のものに責められたりするとしたらそれは間違いである」と回りのものを諭した。と伝えらえております。しかも覚りを開く直前の供養(スジャータの乳粥)と等しい実りがあり、報いがあると伝えている経典もあります。
ですので、あなたがお父様を喜ばせるためにした行いは、命の長短に関係なくすべて善い報いがあるでしょう。
おそらく、お父様がお亡くなりになられたショックでそこまで考えてしまっていると思います。哀しみに覆われて、自責の念にとらわれているのだと思います。
泣くだけ泣いていいです。悲しむだけ悲しんでいいです。それでも、出来たこと、してあげられたこと、数々の喜びと笑顔にあふれたことを思い出しながら、お父様への感謝とともに、お父様の笑顔が輝くように、仏様のところで安心していられますように、祈ってください。お父様があなたのご先祖様として、やがて覚りが開ける供養。そしてあなたを守る力の供養が、あなたによってお父様に具わるのです。
供養を続けることで、あなたはつみびとではありません。お父様とあなたが覚りへ向われる、供養を積む人・仏性のある人と私は思います。
追伸:お礼メッセージありがとうございました。癒されることも必要ですから、無理のないよう、何度でもご相談ください。暗くて落ち込みそうなときは、特に遠慮なくお伝えください。この度のご縁に感謝申し上げます。再礼
質問者からのお礼
このような内容にあたたかいお言葉をいただき、本当に有難く思います。
まだまだ明けることのない暗闇の中にいるような心持ちですが、
自責の念に押しつぶされそうになる時、お言葉は繰り返し読ませていただきます。
有難うございました。