母を自宅に安置しなかった後悔
安倍元総理が亡くなり、荼毘に付される前?後?に、ご自宅や国会議事堂等、ゆかりの場所を周っていたニュースを見て、ふと思いました、、
施設入所を嫌がり、あんなに自宅に帰りたがってた母を自宅に安置しなかった事を!!
夕方亡くなり、看護師さんに葬儀屋さんを探してと言われ、悲しむ暇もなく、葬儀屋さんを探し、手配し、お寺に安置し、枕経をあげていただき、次の日の通夜等の打ち合わせをしたら深夜1時になり、私もクタクタで、母を自宅に連れ帰る事は不可能ではありましたが、、
次の日の納棺と通夜までなら、半日あったのに気力が沸かず、しなかった、、
結局、母は家に帰らないまま通夜の翌日葬儀、そのまま荼毘に付され、その日のうちに埋葬されました、、
葬儀屋さんがテキパキしてくれて(^^ゞあれよ、あれよと終わってしまいました、、
私は喪主として、やるべき事を淡々とやらねば!!と気が張ってて、母の気持ちに寄り添わず、ノルマをこなすようにやってた感じでした。
今思うと母が可哀想だし、私はどこまでも親不孝だったとまた悲しみと自己嫌悪が襲ってきています、、
母が自宅に帰りたかった未練で自宅付近で浮遊霊になってないか心配です、、
自宅は空き家なので誰も居ない!!とパニクって探したり、寂しい思いをしてたらどうしようと思い、こんな時間まで眠れませんでした。
この気持ちをどう収めたら良いのでしょうか??(涙)
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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拠り所が何処にあるか、が根本的問題
こんにちは。
前回も回答しました。
この質問は、あなたの価値観に起因しているように思います。
仏教徒の場合は、大まかに言って亡き人は仏様に成る、成仏すると捉えます。仏教の教えを聞き続けると、自然とそう思えます。
あなたの信仰の方向性は私にはわかりませんが、仏教で「浮遊霊」に成るとは考えません。
あなたが仏教徒でありたいのか、それ以外の宗教の徒でありたいのかという、心の拠り所が何処にあるかを見定めることによって、「この気持ちをどう収めたら良い」の方向性は自ずと定まるでしょう。
質問者からのお礼
お忙しい中回答ありがとうございました。