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自由の楽しみ方が分かりません。

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お世話になっております。
近頃やたらとメンタルが不安定で涙脆いです。気持ちの整理を兼ねてご相談させて下さい。

結論から申し上げますと、自由が非常に怖いです。何かに縛られていないと不安で堪りません。行動基準が常に他人で、自分が本当にしたい事が分かりません。自分が楽しむという事に罪悪感すら感じます。
逆に他人のための自己犠牲は厭わず、むしろその方が落ち着きます。近年特にこの感覚が強まっている気がします。

長年持病があり、10年ほど前に手術を受けました。現在は術前より遥かに自由が利く身になったはずなのに、未だにその自由が怖くて堪らないです。「なんで自分にこんな事が許されるのだろう」と、自由である事自体に抵抗があります。

例として、休日に何をして過ごせば良いか分からず、何か始めても「今こうして何の意味があるのだろう」と必ず過ります。仮にそれが趣味(例:読書)の最中等であっても同様です。満足感を得る事がどうしてもできません。かと言って、新しい事には興味すら湧かない、そもそも欲自体がないです。大して何も集中できず、ただ時間を無駄にした罪悪感だけ残ります。

何かしていないと落ち着かないくせに、何をしていても結局不安です。いっそ時間に追われて誰かの下で働いている方が、罪悪感も少なく楽だと思います。自由でいる事の方が苦痛です。自由と自己責任は表裏一体だと思いますが、結局それに怯えているだけなのでしょうか。

私は昔から、何事も評価がなければ自分を認められませんでした。現在もその傾向が強いですが、仮に評価されたところでそんな自分が惨めで結局情けなく思います。自分が楽しんで満足するというだけの単純な事がなぜ未だにできないのか、なぜその意欲すら湧かないのかと悔しいです。

以前、休日に親戚と旅行に行きました。その際「一緒に来れて楽しかった」と言葉を掛けてもらえましたが、その夜私は「なんであんな事を言ってもらえたんだろう」と何故か考え出してしまい、挙句に「なんで自分は単純に『楽しかった』で終われないんだろう、こんな時ですら余計な考えばかり浮かぶんだろう」と泣けて来ました。

今の自分は自由が怖い一方、他者から評価される自分は情けないし、更にその評価さえも疑ってしまいます。

「本当の自由は不自由の中にある」とも聞きますが、この不安定な気持ちに整理を付けるにはどうすべきでしょうか。

2022年7月19日 11:46

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こんにちは、tamaさん。

はじめまして、はくりょうと申します。
tamaさんの投稿、読ませていただきました。
すごいじゃないですかtamaさん。自由が怖い?…僕もなんです。
こころの奥底から「自由」を目指すおのれを恐れております。
こころが自由であるために、たましいを如何に自在に為せられるか?そればかり考えております。自由が何かすら分かっておりません。
tamaさんも不安や罪悪感を感じるのは、むしろ正常なるこころの働きです。不安定さや不確かさもあって当たり前のことです。

仏教における真の「自由」とは、悟りを開いて解脱を果たしたその成果の先にあるものとされております。生死を超え、輪廻を超え、時空や時間をも超えた究極の存在とされます。(諸学所説多々あり)

持病をお持ちの方は、たましいの宿題を課された方が多いものです。
tamaさんは、自己分析と評価までお済みのようですね。
後はその宿題の答えを探すだけです。その答えを見つける旅の果てに、安定した気持ち、すなわち不動心を得られるのです。

我もtamaさんを見習い、さらに精進いたそうと心を新たにできました。どうもありがとうございました。
tamaさんの健康とご多幸をお祈りいたしております。
はくりょう拝

2022年7月19日 19:45
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有り難し
おきもち

健康・元気・笑顔のスチャラカ坊主
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。

ご指摘のあったように、そもそも「自由とは何か」が根本的に分かっていないから不安なのかもしれないと思いました。
なかなか難しいとは思いますが、その答えを探す事を少しずつ心がけてみようと思います。

ご回答ありがとうございました。

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