自分の理想が高すぎて色々やりにくいです。
いつも有難く拝読しております。
昔から、小説や漫画に憧れあのような人間になりたいという理想を求める気持ちと、自分は周りよりも人間性や振る舞いが不出来だから他に許されることでも私がやるのは許されないという気持ちがあり、
そのために、「こんなことは他の人ならするかもしれないが、私はしてはいけない」と考えて、人に頼ったり、自分の意思を主張したりすることがしにくくなってしまいました。
頼ることについては、
自分にできないため頼らなければ迷惑をかける場合や、相手をたてるために頼った方がいいと思われる場合は頼れるのですが、
このような悩みを打ち明けるときや、大切なものに関して相手を信用して預けるときには
相手が私に頼られることを迷惑がったり、または相手が価値観の違いから無自覚に不都合なことをしたりするのではないかと思ってしまいます。
意思を主張することに関しても、私が主張することが必要だと思われるときにしか言えないことがあります。
私の意志はこの仕事をしたいと思っても
私がこれをすることは全体のためにならなかったり、合理的ではないと思われたりする時は身を引くべきだと思っています。
しかし同時に私と同じ立場の人が、譲らず、失敗の可能性やかかる時間を増やしてでも、意思を通してやりたいことをしているのを羨ましく、妬ましく思うことがあります。
最近はそのような嫉妬心と周りに打ち明けられずに募る不安とで終始不安定な気持ちで過ごす日も少なくありません。
この嫉妬と不信からどう抜け出すべきか、もしくは自分の基準を緩めるべきか、自分でもよくわからず混乱しています。
自分には怠惰で激情家な一面があり、自分の基準を緩めることは、周りに迷惑をかけてしまうのではないかと思います。
ただ、今は嫉妬と不信で済んでいる問題がこの先また別の問題になりうるかもと思うと基準を緩める方向で考えるべきか、しかし自分の望まない自分にはなりたくない、とかでもう色々わかりません。
自分でもうまく整理できておらず、わかりにくくてすみません。どういきるべきでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
周囲の人に頼み、任せてみて下さい…大丈夫です!
あなたのお気持ちをお察し致します。
あなたは物事を本当に良く考えていらっしゃいます。自分の取るべき行動、その結果、周囲の方の反応…もう、ありとあらゆることを想定していらっしゃるように感じます。
あなたは気を遣えるお方なのですね…周囲のことを全く考えない方も多い中で、そのようなあなたの気遣いは本当に素晴らしいことだと思います。
ただ、その為にかえって疲れていらっしゃるように感じます。
思いが逡巡して、でも結論は出ず、疲労だけが残る…それではお辛いでしょう。
ならば、考えること・考え過ぎることを止めませんか?
阿弥陀という仏様は「我(阿弥陀)に任せなさい」とおっしゃいます。命の問題を、また心身より生じる様々な苦悩を、我に預け・委ね・任せよとおっしゃるのです。
その御心のままに我が身の様々な問題を仏様にお任せ致すと…心が軽くなります。考えてみれば当たり前のことです…でも、この「任せる」ことが「我に凝り固まっている」自分にはこの上なく難しいのです…。それでも阿弥陀は我に任せよとおっしゃり続けます。それは、そうすることによって、自らの心身の問題から解き放たれていくからです。心軽く、心安らかに生きていけるからです。
あなたは能力もあり、やれば出来るお方と拝見しました。
でもその為かえって人に頼れず、任せられず、全てを抱え込む結果を招いているようです。
そのようなあなたの心を世間では「プライド・自尊心」と申します。また仏教では「煩悩」と申すところです。
どうかあなたの率直な気持ち、思いを周囲の人に打ち明けて下さい。
それはあなたにとって、非常に辛く勇気のいることかと思います。
でもそう努めることで、あなたという人柄・人格を周囲の人に知ってもらう・認めてもらうことが出来ます。
もちろんそう上手くはいかないかも知れません。周囲と軋轢が生じることもあるでしょう。
でも、そうしないと御自身を人に理解してもらうことは望めません。
どうか「勇気を出して、任せて、頼んでみて下さい」。
それは、周囲の人に対して、又同時に仏に対して…ということです。
あなたのことを分かって下さる人が、周りにきっといらっしゃいます。
何より、あなたのことを阿弥陀仏はわかって下さっています。あなたに寄り添い続け支え続けて下さいます…。
質問者からのお礼
回答いただきありがとうございます。自分の思うことを周りに率直に告げてみる、そして受け入れてもらえるよう努めることが必要ということですね...今までは、話して誰かと喧嘩になったり、周りからの信頼や評価に取り返しのつかない影響が出るのでは、と考えていつも黙っていましたが、お話を読ませていただいて、確かに話さなければ周りにも伝わらないし、理解してもらえる機会を逃しているのかもしれないと思いました。
環境を変えることは怖いし、もしそこが居場所でなくなってしまったらとも思い、まだ怖い気持ちもありますが、仏様に任せると思って、少しずつでも思っていることを話してみようと思います。
あらためて回答いただき有難うございました。