綺麗になりたいです
綺麗になりたいです。
子供の頃から女の子のアイドルが好きで、可愛い子、綺麗な子に憧れていました。
アイドルになりたくてオーディションを受けたりもしましたがブスだった私は受かるわけもなく、また幼少期から男子にブスと言われたりしたことから自分の顔にコンプレックスを抱くようになりました。
高校を卒業し、美容整形をするようになりました。今まででもおそらく250万以上は整形にかけたと思います。昔と比べて人並みには可愛くなりましたが、理想の可愛さとは程遠く苦しいです。昔と顔が変わったことから異性の態度も同性の態度も変わり、見た目って大事なんだと身をもって気づいてしまいました。何百万お金をかけても理想の綺麗になれなくて苦しいです。もちろん見た目が全てとは思いませんが顔が良いことはプラスだと思ってしまいます。いつも見た目に悩んで苦しいです。どんな気持ちでいればいいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これまでと同等の労力を人間の内面の探究に向けるべき
こんにちは。
「綺麗になりたい」、そのお気持ちがストレートに伝わってきます。
一般的に外見にかかわる話は、こんな言い方がなされます。
やっぱり外見だよ。
いや、違うよ中身だよ。
私は、このような議論は大まかに間違っていないとは思います。人間は、男女ともに外見に惹かれるのは事実ですし、一方外見がいくら良くても心に違和感を持つと共同生活はして行きにくくなります。では、心が良ければ外見は度外視できるかと言えば、そうとも言い切れない。そういうものでしょう。
ただ、大まかな方向性としては間違っていないのですが、問題は粗雑すぎる、大雑把すぎるということです。人間の外見は、顔の作りや、全身の姿、ファッションなど限定的ですが、人間の中身は無限と言っていいほどの要素があります。
就いている仕事、そこに注ぐ情熱。
人間的な温かみ、または冷たさ。
誠実、不誠実。
寛容、不寛容。
知識の深さ、浅さ。
行動力。
自然、生き物への眼差し。
あなたは、「もちろん見た目が全てとは思いませんが顔が良いことはプラスだと思」うと書いています。これは、あなたが人間を外見の「顔」という部分に非常に大きな価値観を占めている、ということです。
では、考えてみて下さい。「見た目が全てとは思いません」と考えるなら、「見た目」以外の人間のどんなところに値打ちがあると思っていますか。また、ご自身に「見た目」以外のどんなところに値打ちがあると思いますか。
実は、他者を見る時、自分を見る時、「見た目」以外に人間を見る要素をあまり持っていないがために、結局は「見た目が全て」という結論にたどり着かざるをえない。そんな傾向はありませんか。
あなたはこれまで「見た目」に多くの労力をかけてきた。
それはそれでいい。
ただ、それと同じだけの労力を膨大な人間の内面への探究に向けるべきです。
質問者からのお礼
ありがとうございました