人生の岐路とプラス思考
人生の岐路(全て上手くいかない時期)に立った時、何を判断して乗り越えたらよいのでしょうか?
生きるのが辛くなり負の感情が湧いた時や生きる意味を考えた時…
ある人が、「お腹の底にある念が色々な思考を
作っているから、お腹の底をプラスだらけにしたら自分の運命、宿命は変える事ができるし、自分の思い通りになる、これは仏教でも教えてくれない事」と言っているのをききましたが…
プラス思考で埋めれば本当に良い流れになるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
魔は着々と忍び寄る
ご相談拝読しました。
人生の不条理と思えることに絶望したとき、どうしようもない苦しみの渦中の時、人は救いを求めます。何かにすがりたくなります。
そういうところに忍び込んでくるのは大抵が「魔」(よろしくないもの・いかがわしいもの・迷いを深めるもの)です。
こうすればこうなる
なんていう方程式は人生にはないのです。人生を一発逆転する方法も、感情を思うようにコントロールする方法もない。
それは絶望ではありません。
そういう、どうにもならない深い迷いを抱えた自分の姿が本当に明らかになること、底の底がみえることは実は明るいのです。自分という者がはっきりするのですから。
プラス思考とかマイナス思考なんてのは結局の人間の都合でしょう。思い通りにしたいという都合。都合自体に苦しんでいるのに、それを都合で解決しようとしてもなんともなりません。
仏教はそうした在り方を超越する教えです。それは人間が望むような救いではないかもしれないが、望み以上のものがあるのです。
どうか普段は取るに足らないようないかがわしい情報に振り回されないでください。判断力が落ちているときは何にでも飛びつきたくなってしまいます。
こんにちは。
世の中ポジティブとかプラス思考でないといけないような、ある種の強迫観念みたいなものが感じられることがありますが、確かに欺瞞でなく本当に心の底から楽しい・嬉しい気持ちに満たされている時には人は自然と笑顔にもなり行動もはつらつとするでしょう。
しかし人間や人生はそう単純なものではないですよね。
身近な例だと人気の絶頂だったタレントさんが不名誉な過去や写真を公開されてあっという間に転落したり、かと思えばふとした拍子に人気が再燃する人もいたり。
人生山あり谷あり、本当に色んな出来事が次々と起きるものです。
仏教にはそうした生きる上で起こる様々な出来事に対して「ある人」が仰るような所謂対症療法のような手段は用いません。心理的にも結構危ないというか負荷の大きい理論じゃないかなと思います。
私は目の前の事柄に対してミクロ視点で対処することも必要だとは思います。
ただそれと同時に最終的に自分の人生がどうあってほしいのかをイメージする、大局的なマクロ視点も同じく必要だと思うのです。
車の運転と同じで近くばかり見ていても事故を起こしてしまうし、遠くばかりを見ていても危ない。
困難に対しても乗り越えるばかりが上策とも限りません。時には回避したりじっと時節を待つことも必要な事もあるでしょう。
御自身の人生なのですから、他人の言う「こうあるべき」なんて姿に捉われず剛柔・陰陽うまくバランスを取って、迷った時は「自分は本当はどうしたいんだろう、どう生きるべきだろう」と静かに自身に問いかけることも必要かと思います。
質問者からのお礼
吉武文法 様
回答ありがとうございます。
どうしようもない苦しみや人生の岐路に立たされた時…
底の底がみえて自分という者がはっきりした時…その自分という者が「情け無い、必要とされてない」と自分を責めてしまう感情が出た時…
都合自体に苦しんでいるいる時…
仏教ではどのような教えがあるのでしょうか。
仏教のお言葉が難しく中々意味が分からず、一つ一つ意味を調べていく為、途方に暮れて途中で諦めてしまいます。
判断力が落ちている時の、嘘か本当か分からない情報に振り回されないように気をつけます。
渡部仁海 様
回答ありがとうございます。
ネットでも、リアルでも負の出来事の悩みに対しての回答が必ずと言っていいほど、プラス思考になれば解決する…と言ってます。
しかし、私の中では逆に最悪な事を考えて行動すると上手くいく事もあるので、プラスやマイナスという言葉に対してどこか違う気がしていました。
今は時季を待つしかないと思っています。
周りの、こうあるべき・お前が弱いから上手くいかない…
という言葉に流されず、自分自身にどうしたいのか…問いかけてみます。
答えが出なかった場合は…
考えるのを止めるのが得策なのかもしれません…