妻の死について。苦しいです。
何度か相談させていただいております。
妻が自死してからもうすぐ2ヶ月となります。
仕事に復帰し、日常生活に戻ろうとしていますが、やはり妻の事を思い出して集中できず、夜も睡眠薬を飲んでなんとか眠っています。
こんなにも苦しい思いをするのがわかっていれば、もっと全力で助けようとすることができたのに。妻の調子が悪かったとき、自分の生活や気持ちを優先して100%の対応をしなかったこと。とても申し訳なく、どこまでいっても自分がかわいいのだな。と気付きました。
この苦しみはそんな自分に対しての罰なのかなと思っています。
今は、毎朝毎晩仏壇と妻の遺影に念仏をとなえています。
私も妻の実家も宗派は浄土真宗とのことでした。
妻が亡くなるまで、自分の宗派は知ってはいましたが、その教えなどは知りませんでした。妻も、知らなかったと思いますし、もしかしたら自分の宗派すら知らなかったかもしれません。
そんな妻も、亡くなってから成仏できるのでしょうか?
浄土真宗は、南無阿弥陀仏の心をもっていれば成仏できるというものだと理解しています。
妻は亡くなったときその心をもってなかったかもしれません。
残された者たちが、お祈りをすることで成仏できるのでしょうか。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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辛い気持ちは自然な感情なのです。また話を聞かせてくださいね。
南無阿弥陀仏という仏様は、私たちの人生の隣で、いつも一緒に生きてくださっている仏様です。それは、いのち終える最期まで。
妻さんの最期も、おそばにいてくださったことでしょう。
私たちが気づくよりも先に、阿弥陀さまは、包んでくださっています。どんな想いも、わかっていてくださいます。いのち終えた後も、阿弥陀さまの世界(浄土)へと生まれさせてくださいます。
今、お辛い想いの あなたのそばにも。
必ず、また遇えるのです。この世だけのいのちにさせないと、願ってくださる阿弥陀さまですから。あなたが、妻さんの縁でお念仏のご縁となったのであれば、それは間違いなく浄土から遇える日を待っていてくださる妻さんの想いとなっておられることですよ。
阿弥陀さまは、そこまで考えて はたらいてくださっています。
会いたいですよね。またね。
それなら、やはりお念仏に、阿弥陀さまに頼って参りましょう。
私も納得の出来ぬ死を経験してきました。今でもなぜと納得の出来ないままですし、自分が出来ることがなかったのだろうかと、責める気持ちは起きてきます。どうしようもなく、堪らなくなるとき、そんな時に、お念仏しています。考えても考えても、答えなんて出ないのだろうし、出せるものでもないのかもしれません。
それでも、必ず遇える阿弥陀さまの約束は、絶対なのですから。私は、阿弥陀さまを頼って生きたい、また会いたいと、亡き人を想っています。
こうして、自分の気持ちを誰かに話すことは、弱いことではありません。辛い気持ちは、自然な感情なのですもの。
また、話を聞かせてくださいね。あなたの大切な妻さんを、私も大切に想っていきたいです。
質問者からのお礼
中田 三恵様
ご回答ありがとうございます。
妻の最期のときも阿弥陀さまが近くにいてくださったとのことをお聞きして、涙があふれてきました。
直前まで苦しかったと思いますが、最期は安らかな夢を見ながら浄土に向かったことを願っています。
いつか必ず会えると信じていきたいと思っています。
最後に、妻のことを大切に想っていきたいと言っていただけて救われた気持ちになりました。
お葬式も四十九日の法要も家族だけで、それも限られた人数でしたので。妻も寂しかったと思います。
本当にありがとうございました。