息子を自死で失った後の供養
息子を自死で失いました。
家は浄土真宗本願寺派らしいのですが、普段からあまり信仰心がなかった為直葬にしました。
亡くなった時に着ていた服や使った紐を私の枕元に置いているのですが、供養してあげた方が良いのか悩んでいます。
お坊さんをお呼びし読経してもらった方が良いのでしょうか?
納骨もしてあげた方が良いですか?
3日後が49日ですが、間に合いそうにはありません。
もし、今後お寺で供養してもらうとなると子供と繋がりのあったお家がお寺で宗派が違うのですがそちらにお世話になっても良いのでしょうか?
そうなると今後は私の家系はその宗派という事になるのでしょうか?
いくつも質問してすみません。
亡くなった息子が苦しまずにすむようにできる限りのことをしてあげたいのです。
ご教授頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
息子様は仏様とお生まれです…そのことこそを受け止めて下さい
本当にお寂しいことでしょう…ご心中をお察し致し、唯々お念仏申させて頂きます。
まずはあなた御自身のことを大切になさって下さい。この上なく寂しくお辛いご心中かと存じます。ですから まずあなた自身が癒され、すくわれていくことが必要です。四十九日法要やお寺さんとのお付き合いにつきましては、その後ゆっくりと考えれば良いことです。
もちろんご法要をお勤めすることは大切ですし、そのことで御心がお楽になることはあるかと思います。
ただ、間もなく四十九日法要を迎えるとのことですので、今からお寺さんを決めて、依頼して云々…は時間的に難しいかと思います。
ただどうしても…ということであれば、一番お近くの宗派の別院を探し、そこに依頼をされることをお勧めします。又そちらでお寺の紹介をしてもらうことも出来ます。尚、「宗派が違うのですが 子供と繋がりのあったお家がお寺で」あるとのことですから、そちらにご相談される方法もあるかと思います。
いずれにしても、一度法要を御願いしたら、これからずっとそのお寺とご縁を結ばなくてはならないということはありません。トラブルを防ぐためには、法要を依頼するお寺さんには最初から今の御自身の状況を説明し、ご理解頂いておくことが大切です。
『亡くなった息子が苦しまずにすむようにできる限りのことをしてあげたい』とおっしゃっていますが、息子様はもう今後一切苦しみを味わうことのない仏様と生まれられたことをしっかりと受け止めて下さい。
反対に苦しんでいるのはあなたであり、私であり、今を生きている人々です。
息子様は仏様さまと成られて、既にあなたのところへ、あなたのためにお帰り下さっています。南無阿弥陀仏(念仏)という声の仏と成られて今既にあなたに御一緒下さっています。ですからどうぞお念仏申して下さい…お念仏とは息子様を呼ぶ声であるようでいて、実は仏様と成られた息子様があなたに呼び掛けて下さっている呼び声であり、その仏様の「おはたらき」だと受け止めて下さい。
何よりもあなたのことを案じ、慈しむ仏様とお生まれになった息子様。
その温かく深い御慈悲の御心をしっかりと受け止めて下さいませ。
お辛いあなたに仏様はこれからもずっと寄り添ってくださいます…。
追伸 法名(戒名のこと)については、お参りを依頼される際に そのお寺に直接にご相談下さいませ…。
愛する人を失った私たちの心の向かうべき先
供養の意義、意味を問い続けてみますと、何をすることが本当に供養になるのか…?ということに突き当たります。
人は生きている限り、この世で共存する誰かがいつかどちらかが先に亡くなられてしまうという悲しい日を迎えます。
私も弟弟子が亡くなり最期に言われた言葉「丹下さん、お坊さんになってもいいかなぁって思えるようになりました。」
それを最期に会えなくなってしまいました。
ですが、私は彼のために何ができるか?を考えて通夜葬儀で読経をするということよりも、彼のこの世でのやりたかったことを代わりにやってあげることが彼への一番の供養だと思いました。
尊敬する老師も亡くなられました。その老師はたくさんの弟子をとられて、大勢に人を悟り・正覚に導かれました。その老師にはとても及びませんが、教えを頂いた人間の一人としてこの世で人が救われる仏の法を説こうと思いました。
人が亡くなられてそのまま何もしないということはたとえは異なりましょうが、誕生日を迎えたのに何もしてあげられていない、ということになんとなく似ているようにも感じます。
私はそれぞれの人がそれぞれの形でその人を思いやる形で最上、最高のご供養をしてあげるべきだと思います。
善意を施すことは、相手が生きている方であっても亡き方であってもこの世に良い爪痕を残すことになりましょう。
世界は一つの水槽だと仮定します。
うちらの親子🐟🐟はどちらかが先に死んでしまったとしても、どうでもいいからねぇという姿勢であることはさびしいものです。
自然界ですから、誰かが誰かに、誰かが何かに、こちらの願いとは異なる形で死を迎えてしまうということがあるかもしれません。
ですが、私たちは人間です。直葬してそれだけでその後の心の歩む先、向かう先、進む先が見いだせないままですと、それは法の眼、仏の眼がまだ開かれていない心ともいえましょう。私は、葬儀で必ず菩提心を遺族の方に持っていただくようにお願いいたします。
誓願を立てることが菩提心です。菩提心を立てることが墓石や位牌や塔婆を建立することの真意でもあります。人がこの世の人間世界の悲しいルールを超えて、万人が幸せになれるように心の向かう先を見出し、歩みを進めていく。
坊さんに供養をしてもらうというのは、ご遺族の人の心の向かう先を指示してもらうということでもあります。お辛いときは何時でもお電話お待ちしております。
質問者からのお礼
小林 覚城 様
ありがとうございます。息子が仏様となり私のところへ私の為に帰ってきてくれているというお言葉に胸が温かくなりました。息子と共にいることを胸に南無阿弥陀仏を唱えていきます。
もうひとつ気がかりなことがあるのですが、戒名を頂いてないのですが49日法要をしていただくことはかのうなのでしょうか?
丹下 覚元 様
ありがとうございます。
供養の意味、意義…深く考えさせていただきました。
このようなことがきっかけになってしまい何をどうしたらよいのかも分からず遅れ遅れにはなっておりますが、人の心の向かう先を私自身もしっかりと目を開き歩みながら、仏様のご指示を頂けるようにしていきたいと考えております。
小林 覚城 様
丹下 覚元 様
宗派は異なりますが子供と繋がりのあるお寺で法要をすることになりました。49日までに拘らなくても大丈夫、戒名(法名)も付けることに拘らなくても大丈夫とそちらのご住職にも言って頂きましたが、私の気持ちも考慮していただきなんとかギリギリ49日までの法要ができることとなり、戒名も付けて頂くことになりました。
今まで何も気にしていなかった仏教について今後少しずつですが、私なりに勉強していきたいと考えております。
本当にありがとうございました。