自死した妹の供養について
妹を自死で亡くしました。
四十九日法要も終わりましたがまだ混乱の中にいて毎日泣いてしまっています。たらればが止まらず後悔の日々です。
代々浄土真宗の家系で妹の供養もそのしきたりで行われましたが、わからないことがあるのでよろしければいくつか教えて頂きたいです。
①浄土真宗では亡くなったらすぐ成仏の考えですが、それは生前仏様を信じた人でないといけないと聞きました。
妹も私もそこまで信心深い方ではなかったです。信心深くない人は亡くなったらどうなるのでしょう。魂があるのかどうかもわかりませんが、どこか彷徨って迷子になっていないかとすごく心配です。
②他の宗派だと節目の法要に追善供養の意味がありますが、すぐに成仏する浄土真宗の節目の法要の意味合いを捉えかねています。故人を偲ぶのにも仏様に手を合わせる??の感覚がよく分からず…モヤモヤした質問でわかりづらくすみません。死を受け入れられず妹にはなかなか手を合わせられずにいます。
③②と被りますが、浄土真宗に追善供養の考えがないため、もう妹に何もしてあげられないと絶望しています。成仏して苦しみも何もないなら大いに結構なはずなのですが、後悔の感情のやり場を失っています。エゴなのはわかっていますが気持ちが追いつきません。本当にもう何もできないのでしょうか。死別とはそういうことなのでしょうか。
混乱と絶望と後悔が繰り返しきてただただ苦しく虚しい日々です。何を信じて頼ればいいかもわかりません。
色々と的はずれな質問かもしれませんが、教えて頂けますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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浄土真宗の法要は亡き人からメッセージを受け取る事です
ご質問読ませていただきました。私は浄土真宗の僧侶です。文字制限があるのでお答えします。
①おっしゃる通り浄土真宗では亡くなれば直ぐに成仏されます。即得往生と言います。確かに信心は必要ですがほんの少しでも仏様に手を合わせたことがあれば大丈夫です。ですから浄土真宗では霊と言う概念は有りません。生きているか仏様になっているかどちらかだからです。ですから私が他所のお葬式に行く時には「御霊前」と言うのは持って行きません。御香典にします。と言う訳でどこかに彷徨っていると言う事はありません。ご安心下さい。
②おっしゃる通り、浄土真宗では追善供養は致しません。そもそも供養と言う概念が有りません。何故なら、亡くなれば仏様になります(成仏)。つまり妹さんは今は仏様です。仏=仏陀と言う意味です。仏陀とは完璧な悟りを得た人の事です。つまり、生きている時は長所も短所もある人間ですが仏様は100%完璧な悟りを得た人なのです。となれば、我々100%完璧でない人間が完璧な仏様を供養するっておかしく無いですか?と言うかおこがましいですよね。だから仏様を供養することなど出来ないし供養する必要も無いのです。
妹さんは仏陀なのです。そして、仏陀とは私たちを導いてくださる存在なのです。ですから妹さんの法要は供養ではなく仏陀になられた妹さんから私たちがお導きを受ける法会なのです。これを浄土真宗では難しい言葉で還相回向(げんそうえこう)と言います。つまり、亡くなった妹さんが仏様になってこの娑婆世界に還ってきて私たちに法を説いてくださると言う事なのです。少し難しいかも知れませんが僧侶を通して私たちに様々なことを教えてくださるのです。その事を聞法のご縁をいただくと言います。具体的には妹さんの法要をご縁に僧侶から仏様のお話しを聞くのです。妹さんをお偲びして、そのご縁を与えて下さったことに感謝のまことをささげるのです。
少し具体的に申しますとあなたが妹さんの仏前で手を合わせてお詣りします。そうすると亡き人の為に手を合わせたのにお詣りした後に何故か心が休まる、安堵するというお気持ちになった事はありませんか。これは仏様の妹さんがお慈悲の心を下さったのです。
③そう言う訳で安心してください。合掌
質問者からのお礼
まとまりのない質問にも関わらず丁寧に答えて下さりありがとうございます。
先日お寺訪問の予定を入れたことを思い出しました。確かに妹がくれたご縁ですね。
気持ちの整理がまだつかず、妹と思ってしまうと手を合わせるのにまだ抵抗がありますがお寺ではちゃんと手を合わせてきたいと思います。