悲しく辛すぎてどうしていいかわかりません。
今月4日に最愛の母を亡くしました。昨年9月に胃癌、不整脈の為ペースメーカー植え込み手術、10月に入り乳癌と3つの手術をし、元気になってきたところ圧迫骨折になり術後の消毒の為、入退院を繰り返していました。
最後に家に帰ってきたのは2月。本人は通院して圧迫骨折の治療、リハビリを頑張るつもりでしたが結局は動けず1週間で再入院となり亡くなるまで病院で過ごしていました。
3月中旬に主治医から呼び出され、母の腎臓の機能がかなり悪くなっている。急変してもおかしくない。もしかしたら目に見えない癌がわるさをしているのかもしれないが何が原因かわからないと言われました。
術後は手術は成功しました。転移もしていませんと言っておきながら何故今更と主治医に対し不信感でいっぱいになりながらも、自分でも色々調べ透析治療のできる病院へ転院させようと思い母にも
今、腎臓が少し悪くなってるから設備のある病院に転院して治そうと伝えると、母も
ここぢゃ、寝かされっぱなしで身体もどんどん動かなくなってしまうから転院して治したいと言い、病院の医療相談室に転院希望を伝え転院できる日を楽しみにしていました。
しかし待てどくらせど連絡がなく再度、相談室に問い合わせてみると
只今、調整中ですと言われるだけ。
1日1日、母は浮腫んでいき意識障害などでるようになっていきました。私は1分1秒でも早く透析治療をと思っていたのですが治療を受けることが出来ずに母は逝ってしまいました。
最後まで泣き言を言わなかった強い母。
本当にに辛かっただろうに...。
こんな考え方してはいけないとわかってはいるのですが病院が憎くてたまりません。
母とは楽しい思い出ばかりではなく絶縁状態になっていた時期もありました。
だからこそ これから沢山のことを母にしてあげたかった。やるだけのことはやってきたつもりですが今どうにかなりそうなほど悲しくて辛くて泣いてると同時に母の容態がおかしくなっても連絡もくれなかった病院が憎くて頭がいっぱいいっぱいでおかしくなりそうです。母が亡くなってから毎日のように過呼吸にみまわれます。こんな苦しさ、悲しさ、寂しさ、憎むという汚い気持ちから解放される時が私にやってくるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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人間はご自分の持ってる運、定め、寿命があります
リナママさんの苦衷は理解でき同情いたします。お母さんが亡くなられたことお悔やみ申しあげます。いろいろな病気や症状が現れてあなたもお母さんも苦しかったことと思います。文面からだけで正確なことはわかりませんが、かなり重篤な病状だったように読み取れます。多分状況から案ずるに、透析しても回復は難しいのではないかと想像されます。貴方は病院が透析さえしてくれていればお亡くなりになられても病院に怒りを持たず納得されたと思われますが、透析も体力も弱っていられたお母さんの体力には、かなり辛い施療で行うことは無理だったかもしれません。
あなたは絶縁までしてきたお母さんに、お母さんの定め、寿命の尽きるまで付き添ってあげることが出来たことはお二人にとって恵まれた時間であったと思います。病院に対する怒りなどはお母さんは持っていないのではないでしょうか?医学は決して万能ではありません。医療は患者の生命力の手助けがあって病気が回復するので、持久力、治癒力の定めが尽きたら身罷っていくのです。子供の頃にお母さんに可愛がられたこと、絶縁した経緯、最後の看取りなど振り返って感謝の心で合掌してあげて下さい。あなたが怒ってるとお母さんは浮かばれません。
父母の身罷りし年超え生きて苦渋の人になにごとか言う
苦しいけれど、憎しみは消えないけれどお母様からの大切なご縁
リナママさまのお母様に哀悼の誠を表しお念仏申させていただきます。南無阿弥陀仏。
リナママさまの苦しい思いが文面から伝わって参りました。最愛のお母様がご往生なされ、病院への憎しみによって、おかしくなりそうなほど、今、苦しんでおられる。そして、この苦しさ、悲しさ、寂しさ、憎むという気持ちから解放される時が私にやってくるのか、とのお悩み。
状況をお聞きしますに、最愛なるお母様の命の一大事において、病院に不信感の残る対応をされたことに、憤りを感じるのは自然なことと思います。
状況の異なる私の話で恐縮ですが、6年前に先代である父が肺ガン発覚から2カ月で往生しました。処方薬の副作用によって、死期が早まったとの疑念が強くありました。その後、私が住職になるために京都へ行った際に、初めて出会った先生に次の言葉を掛けられました。
「あなたのお父さんは、ガンで死んだんじゃないぞ。」
私はポカンとしました。(今日初めて会ったのに何を言っているんだ、この人は。)と思いました。
すると、続けて言われたのが
「生まれたから死んだんだぞ」
との言葉でした。
この言葉が私には腑に落ちました。
生老病死との言葉にもあるように、私たちは、ひとたび生まれたら老いていくことが当たり前、病にかかることが当たり前、死にゆくことが当たり前の身でありました。病のせいで、薬のせいで死んだとの視点に苦しんでおりましたが、それ以上に、私もまた、必ず死にゆく命であったことをその身を持って教えてくださったのだなと痛感しました。薬の副作用が強くて死に至ったと恨む気持ちが完全に消えたわけではありません。しかしながら、父の往生という悲しみの縁は、何より、生死と本気で向き合う私へとお育てくださいました。
リナママ様におかれましても、お母様が命を懸けて残してくださった「決して当たり前ではない私たちの命ですよ」とのいのちの教えを抱きしめることが大事なことかもしれませんね。お母様はこれからも縁ある皆様をお育てくださいます。してあげたい思いがあるとのことですが、私たちはいつもしていただいてばかりですね。でも甘えさせていただきましょう。親子ですからね。
悲しいけれど、苦しいけれど、寂しいけれど、憎しみは消えないけれど、この悲しみのご縁をお母様から私に結ばれた大切な教えとして介抱し続けていくことこそが大事なのではないでしょうか。
質問者からのお礼
山内様
お言葉ありがとうございます。山内様のおっしゃるとうり、私が憎しみの気持ちをもっていたら母も安心できませんね。質問をさせて頂く時に文字数により書ききれなかったのですが母の主治医の一人が母の経過をみて透析をすすめてくれたのですが、常勤の先生ではないため連携がとれていなかったようです。今、何を後悔しても遅いのですが...ただ山内様がおっしゃて下さったよう最後は母と過ごせた本当に短い穏やかだった時間を胸に少しずつ前向きになれるよう日々過ごしていけるよう努力してみます。
ありがとうございました。
高山様
優しいお言葉ありがとうございます。涙でにじんでしまい最後まで読むのに時間がかかってしまいました。今、お言葉を読み、気持ちが安定している自分と寂しさで絶望感でいっぱいの自分がいて自身をコントロールできない状態ですが高山様のお言葉によって少しですが気持ちが楽になっています。高山様とこうゆう形ですがご縁をもてたことに感謝します。本当にありがとうございました。