今の生活から変わることが怖いです
現在実家で母と猫と暮らしています。父は長らく別居していますが、半年前からがんになり余命宣告を受け、母が週に一度世話をしに行っています。この状況からお察しいただける通り、問題がないとはいえない家族です。
私自身は正社員として働いていて、安定した収入があります。数年間婚活をして、最近ようやく、結婚を前提としたお付き合いに進みそうな方との出会いがありました。
結婚して両親を安心させたい、孫の顔を見せてあげたい、その気持ちは確かにあります。婚活が長引きずっと心配させていました。
その反面、それ以上に、今の生活から変わることが怖くて仕方ありません。
元々人間が苦手で異性は殊更好きになりにくく、今回出会った方も、好きになったというよりは、他の異性と比べて気持ち悪いと感じることが少なかったから、という理由で関係を進めようとしています。
3週間ほど前は変化に対する恐怖がとても強く、夜通し泣いて生活がままならなかったほどでした。大好きな母と猫がいる環境から離れがたく、自立心がないのです。自分の弱さと甘えが原因です。
1年半ほど前にも同じような内容を投稿していました。成長がない…それだけ根強い感情なのかもしれません。
もちろん、諸行無常、このままの生活が続くわけがないことも分かっています。
病気の父はもう長くはないし、母も猫も高齢で、私を置いて死んでしまうことは分かっています。それから先の長い孤独に、弱い自分が耐えられるとは思えません。
それなら結婚して自分の家庭を持ち、心の拠り所を持った方がいいのだとも分かっています。
異性に対する苦手意識はありますが、せっかくつながったご縁、進んでみないと分からない、やらない後悔よりやって後悔、そう考えて気持ちを奮い立たせては、でもやっぱり怖い。そもそもお付き合いを進めても駄目になってしまうかもしれない、そうしたらまた婚活をするのか、年齢的にどんどん厳しくなって希望がない、どうしてこのままでいられないのか、等々…。
悪い考えが頭を巡っては泣いて、前向きに考えようとしては挫けて、その繰り返しです。
実に弱く甘えきった考えばかりの文章で、お恥ずかしい限りです。
仏教の教えで、お導きいただけましたら、前向きに生きていけるようになりましたら、と願います。
どうぞよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人参は生のままでは食べにくい。
何事も人は苦手分野をもっていくものです。
できることなら、苦手分野が無ければ無いほど自分自身の気持ちは執着(かたより、こだわり、とらわれ)は、少なく人生をスムーズに進めていけるものです。
苦手意識は、いつしか自分が苦手意識だと強く認識している時も多々あります。
世にいう「無理なもんは無理!」と、自分に言い聞かせ、自分を自分で雁字搦めにしてしまっていることもあります。
僧侶は修行期間はありますが、修行が終えたからといって立派な僧侶ではなく、生涯修行です。
それは僧侶だけでなく、生きる者すべて生きていくことは修行であり、最後の最期の瞬間まで修行です。
修行とは「苦手分野を克服していくこと」でもあります。
資格や免許を持っているからとて、それを活かすチャンスをいつでも発揮できる準備をしておかなければならなく、訓練や練習をしていても同じで、いざ本番など大事なときに自分を生かすことができるかが重要となってきます。
そのためには、苦手意識とする分野のことを慣れていく意識(気持ち)を勇気をもって挑んでいくことで、不安は少しずつ手放すキッカケとなっていきます。
世は、「諸行無常」と知っているならば、変化に対応できる自分を"今から"形成していくことです。
タイトルで記す「人参は生のままで食べにくい」と表したように、煮込みに時間を重ねることで、ニガい人参はいずれ甘くなっていきます。
同様に、苦手意識も向き合い慣れていくことで、得意までとはいわずとも今よりは慣用されていくことです。
「種まけど、何もしなけりゃ芽も出ない。地道な努力に花は咲くものです。」
合掌
質問者からのお礼
法源様
ご回答を頂戴し誠にありがとうございます。
生きていくことは修行、とても腑に落ちました。
勇気が不安に勝るよう、心構えから意識していってみようと思います。
ありがとうございました。