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過去の過ちと因果応報への恐れ

回答数回答 1
有り難し有り難し 22

過去の過ちから日々不安で押し潰されそうです。

一年前に下手をしたらクビになるようなことをしてしまいました。
私は最近因果応報という言葉を実感しており、それを強く確信する度に過去の過ちが広まり、自分に返ってくるのではないかと不安でいっぱいになります。

また、あろうことか
・その当時に口の軽い同僚2人に酔った勢いで話してしまった
・その行為を共に行った社外の相手と喧嘩別れをしている上に証拠写真を持たれている
以上の2点から会社にいつかバレる可能性が十分にあります。

今のところそういった脅迫や噂は立っていないのですが、何事も因果応報だと思い、いつか明るみに出るのではないかと毎日怯えています。

また、最近になって守りたい存在ができ、その為にも今の職を失うことはしたくないです。
そして、その存在のお陰で日々幸せを得ているのですが、いつか来るかもしれないしっぺ返しを恐れて幸せを素直に喜べません。

忘れた頃に因果応報がやってくるのではないかと思うと、忘れることも出来ません。
最近不安になると胃腸を痛めるようになってしまいました。
また、今ある幸せを感じられないことに辛さがあります。
今は昔のことを大いに反省し、誠実に生きることを心掛けています。

本題です。
罪を帳消しにしたいとは言いません。
いつか罰は下るだろうと常に考えています。
ですが、いつまでも続くこの不安から解放され、今ある幸せを心から感じてみたいのです。
こんな私はどう心がけ、考え、日々生きれば良いのでしょうか。

※内容をかなりぼかしていてすみません。
この過去の行為は、人を傷つけたり、社会に迷惑をかけるような内容ではありませんが会社の規則に反した行為です。実際どうなるかはわかりませんが、注意とかでは済まないレベルではあると思います。
また、会社での立場は確実に無くなります。

2023年1月10日 0:41

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今苦しんでいるのだから
既に罰は受けていらと考えるべきです

あなたの精神は
自分の成した間違えた行いによって結局は自由を失っている

物理的には被害はないように見えるけれども
既にあなたの脳は悩みというタスクに
かなりの容量を割いているから物理的にもスペックを活かしきれていない
といえばわかりやすいでしょうか?

仏教では一般的な考え方でいう
罰という考え方はありません

ただ現象として原因と結果があるだけです

では話を変えましょう

相手があなたに危害を加えるとしたら
あなたに危害を加える理由が必要です

あなたが事件以後
相手や周りになんらかの利をもたらしていればあなたは周りから好かれているから危害を加える理由は無い

あなたが己の利ばかり考え行動する人間であれば
危害を加える理由はある

これも因果です
因果応報とは一生代償を払い続けるというような
恐ろしいことではなく
己の行いの悪さに気がついた時には
既に因果の「果」を得ているのです

例えば己が笑っている時
それもまた自他の良き行いの「果」を得ているのです

何度仕事を失おうと簡単に人は死なない
その程度で失うパートナーであるなら固執する必要もない
あなたはこれから正しい行いを続け
縮こまらず正々堂々と公明正大に自他の利益を等しく考え生きると良いでしょう

その結果は今のあなたが想像するよりずっと良いものです

合掌

2023年1月10日 8:39
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有り難し
おきもち

山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロ...
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質問者からのお礼

ご回答本当にありがとうございます。

なんと言葉にすればいいのか、一言では言い表しきれないのですが、救われました。
涙を溜めながら、大事に、大事に読ませていただきました。
頂いた言葉は一生忘れないです。

これからは人のため、大事なもののため、生きていこうと思います。
救ってくれてありがとうございました。

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苛まれ続けるのならば死を選びたい

この世に因果応報はないのでしょうか? 私は学生の時に集団いじめを受け、卒業してからも今までずっと容姿のことで批判されたり、外出先で出くわそうものなら大声で悪口を叩かれるので一時期は買い出しすら恐怖でした。 やはり、そういった出来事が自分の中で積み重なって性格も歪んでしまい、大学生活はずっとひとりぼっちで、国家試験も落ちて、現在は毎日泣きながら予備校に通っています。 極めつけに、私をいじめていた女共は今彼氏もできて、友達に囲まれて幸せそうです。 現在は遠く離れた土地にいますが、腐れ縁っていうのですかね、以前ばったり会って、それはそれは幸せそうでした。 私は信頼できる友達も、相手もいないのに。 ふとした瞬間に、涙が溢れます。 予備校にいるときに泣きたくなかったのに、この間はついこぼれてしまいました。 常に、幸せそうな人を見ては憎んで心の中で貶してしまう自分が嫌で、日頃から出来損ないの社会不適合者と、自分を罵ってしまいます。 正直言って、恋人が欲しいとは思っていません。ですが、いじめてきたやつらは幸せで私はどん底にいることが悔しくて、情けないですし、 街で仲の良さそうなカップルをみると、微笑ましいより、憎しみが湧いてきてしまいます。そして「私はそういう相手がなんでいないんだ」とか、普段なら考えないことも考えてしまいます。 多分、恋人が欲しいというのは、女に生まれてしまったことによる生存本能だとわかっているのですが、今の状況が惨めすぎてそんなつまらないことに囚われてしまっています。 この様な劣等感に、苛まれ続けない良い考え方があれば教えていただきたいです。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2

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