過去の過ちと因果応報への恐れ
過去の過ちから日々不安で押し潰されそうです。
一年前に下手をしたらクビになるようなことをしてしまいました。
私は最近因果応報という言葉を実感しており、それを強く確信する度に過去の過ちが広まり、自分に返ってくるのではないかと不安でいっぱいになります。
また、あろうことか
・その当時に口の軽い同僚2人に酔った勢いで話してしまった
・その行為を共に行った社外の相手と喧嘩別れをしている上に証拠写真を持たれている
以上の2点から会社にいつかバレる可能性が十分にあります。
今のところそういった脅迫や噂は立っていないのですが、何事も因果応報だと思い、いつか明るみに出るのではないかと毎日怯えています。
また、最近になって守りたい存在ができ、その為にも今の職を失うことはしたくないです。
そして、その存在のお陰で日々幸せを得ているのですが、いつか来るかもしれないしっぺ返しを恐れて幸せを素直に喜べません。
忘れた頃に因果応報がやってくるのではないかと思うと、忘れることも出来ません。
最近不安になると胃腸を痛めるようになってしまいました。
また、今ある幸せを感じられないことに辛さがあります。
今は昔のことを大いに反省し、誠実に生きることを心掛けています。
本題です。
罪を帳消しにしたいとは言いません。
いつか罰は下るだろうと常に考えています。
ですが、いつまでも続くこの不安から解放され、今ある幸せを心から感じてみたいのです。
こんな私はどう心がけ、考え、日々生きれば良いのでしょうか。
※内容をかなりぼかしていてすみません。
この過去の行為は、人を傷つけたり、社会に迷惑をかけるような内容ではありませんが会社の規則に反した行為です。実際どうなるかはわかりませんが、注意とかでは済まないレベルではあると思います。
また、会社での立場は確実に無くなります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝
今苦しんでいるのだから
既に罰は受けていらと考えるべきです
あなたの精神は
自分の成した間違えた行いによって結局は自由を失っている
物理的には被害はないように見えるけれども
既にあなたの脳は悩みというタスクに
かなりの容量を割いているから物理的にもスペックを活かしきれていない
といえばわかりやすいでしょうか?
仏教では一般的な考え方でいう
罰という考え方はありません
ただ現象として原因と結果があるだけです
では話を変えましょう
相手があなたに危害を加えるとしたら
あなたに危害を加える理由が必要です
あなたが事件以後
相手や周りになんらかの利をもたらしていればあなたは周りから好かれているから危害を加える理由は無い
あなたが己の利ばかり考え行動する人間であれば
危害を加える理由はある
これも因果です
因果応報とは一生代償を払い続けるというような
恐ろしいことではなく
己の行いの悪さに気がついた時には
既に因果の「果」を得ているのです
例えば己が笑っている時
それもまた自他の良き行いの「果」を得ているのです
何度仕事を失おうと簡単に人は死なない
その程度で失うパートナーであるなら固執する必要もない
あなたはこれから正しい行いを続け
縮こまらず正々堂々と公明正大に自他の利益を等しく考え生きると良いでしょう
その結果は今のあなたが想像するよりずっと良いものです
合掌
質問者からのお礼
ご回答本当にありがとうございます。
なんと言葉にすればいいのか、一言では言い表しきれないのですが、救われました。
涙を溜めながら、大事に、大事に読ませていただきました。
頂いた言葉は一生忘れないです。
これからは人のため、大事なもののため、生きていこうと思います。
救ってくれてありがとうございました。