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縁起恐怖症について

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有り難し有り難し 11

不謹慎なことを考えてしまう縁起恐怖という言葉を最近聞きました。私は統合失調症や強迫性障害などを持っています。過去の過ちに関係のありそうな神仏や霊牌に対して私の過去と関係があるから不謹慎なことは思わないようにしようと何度も思いその度に家で謝ったり土下座したりしています。神社に謝りに行くのも最近も苦痛になり辛いです。不謹慎をさらに不謹慎で塗り潰すような行為を繰り返してしまいます。バチが当たったり何かあったら本当にどうしようといつも悩んで苦しいです。

2024年9月2日 18:05

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

頭が勝手に考えたことにすぎない

頭で考えたこと(概念や観念やイメージ)を仏教では「法(ほう)」と呼びます。
そして、法(頭で考えたこと)は空虚な幻みたいなものであり実体が無い(無我だ)と言われます。
脳というのは言葉一つからでもあれこれとイメージを膨らませたがるいたずらっ子なのです。
脳ミソのいたずらに本気で付き合う必要はありません。
不謹慎なことを考えたからバチが当たるとかは気にする必要がありません。
たとえば「バチが当たるかも」と思ったときには、その後に「と、脳ミソは考えたようだ」と付け加えましょう。
事実ではなく脳ミソが勝手に出力した架空の物語だと思ってください。
今、下記の言葉を念じる練習してみてください。
「と、脳ミソは考えたようだ」

2024年9月3日 0:03
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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縁りて起こるというだけなのだから、恐怖だけではなく清浄に。

縁起、出会い、関係性は必ずしも恐怖ばかりではないと見極める。
こんなことがあったらいやだなァとおもうことの99・999…%は起こっていないというデータを見極める。現実・真実は自分の頭で考えたことが起こっているわけではないのだ、ということの見極めこそがシラフなマインドの第一歩。仏教で説く一切皆苦というのは「苦」とは苦しみではなく、一切は自分の思いとは別次元にあるという意味です。つまり、あなたはアナタの脳内フィルター越しにしか眺めていないところがあるから現実とのギャップで苦痛や不安が多く生ずるわけですが、現実はどうですか?あなたの思った通りになっていますか?その心理的な居住地のメインスペースがほぼ頭だからいけない。人が本当に居る、住む、居住する、存在する場所というのはアンタのその頭の中ではなく、今日の天気一つですら思い通りにならない予測不可能にして誰のルールや願いからも自由な活動をしている今日のたった今の底のその現実なのですよ。そこに目を開く、目を覚ます。
( ゚Д゚)💡
ああ、私が住み着いていた洞窟は私の頭の中のインナーワールド、私だけにしか見えていない私のアタマの中が作り出した、現実によく似ている私独自のストーリー、妄想、想像、予測(しかもほぼ的中しない)にすぎなかったのだ、とあなたを責めるのではなく、あなたのその妄想を叱り飛ばすように、目を覚ませばいいのです。
習慣になっているでしょうから、定期的にそこの気づき、踏みとどまりを意識して、そっちに行かないようにすればいいだけです。本当の不謹慎極まりない行為というのは、あなたがあなたの身心を安楽に向かわせてあげないまま、妄想ワールドをゆうせんすることではないでしょうか?あるいはいたずらに謝ってばかりで、自分はダメだ、バカだ、愚かだ、こんなんじゃだめだと自分を低評価し続けていることこそ、あなたの良心・本心に不謹慎ですよ。
安心してください。世界はもっと優しいです。
人には人のルールがありますから、真実には値しない面もありますが、世界、今日のこの世界、事実というものは毎日、いつでもフレッシュです。
だから貴女も勝手にお手つきしてはいけない。どうせ、こうだろうと思ってもいけない。縁起という言葉の正しい使い方もまずその目の前の事実というものは寄りて起こっている無垢清浄の清らかな事実であるということ。事実はあなたを傷つけない。

2024年9月3日 4:25
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

お二方のお坊さんご回答ありがとうございました。かなり気持ちが楽になりました。脳の病気や自分の囚われていたルールから少し解放された気がします。本当にありがとうございました。

「因果応報」問答一覧

過去の過ちと因果応報への恐れ

過去の過ちから日々不安で押し潰されそうです。 一年前に下手をしたらクビになるようなことをしてしまいました。 私は最近因果応報という言葉を実感しており、それを強く確信する度に過去の過ちが広まり、自分に返ってくるのではないかと不安でいっぱいになります。 また、あろうことか ・その当時に口の軽い同僚2人に酔った勢いで話してしまった ・その行為を共に行った社外の相手と喧嘩別れをしている上に証拠写真を持たれている 以上の2点から会社にいつかバレる可能性が十分にあります。 今のところそういった脅迫や噂は立っていないのですが、何事も因果応報だと思い、いつか明るみに出るのではないかと毎日怯えています。 また、最近になって守りたい存在ができ、その為にも今の職を失うことはしたくないです。 そして、その存在のお陰で日々幸せを得ているのですが、いつか来るかもしれないしっぺ返しを恐れて幸せを素直に喜べません。 忘れた頃に因果応報がやってくるのではないかと思うと、忘れることも出来ません。 最近不安になると胃腸を痛めるようになってしまいました。 また、今ある幸せを感じられないことに辛さがあります。 今は昔のことを大いに反省し、誠実に生きることを心掛けています。 本題です。 罪を帳消しにしたいとは言いません。 いつか罰は下るだろうと常に考えています。 ですが、いつまでも続くこの不安から解放され、今ある幸せを心から感じてみたいのです。 こんな私はどう心がけ、考え、日々生きれば良いのでしょうか。 ※内容をかなりぼかしていてすみません。 この過去の行為は、人を傷つけたり、社会に迷惑をかけるような内容ではありませんが会社の規則に反した行為です。実際どうなるかはわかりませんが、注意とかでは済まないレベルではあると思います。 また、会社での立場は確実に無くなります。

有り難し有り難し 22
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ