祖母をさらりと憎むには。
3週間ほど前に、精神科長期入院中の叔母(独身)の後見人を引き受けるかどうか、迷っている、とのご相談を申し上げました。
ひとりで負担を抱え込まないように、とのアドバイスをいただきましたが、その後、関係者間に共同後見を引き受ける人がおらず、結局のところ、私一人で担うか、専門家(弁護士)に一任するかの二択になっております。
引き受ければ、原則本人が亡くなるまで制度を利用しつづけなければならず、また、余程の事情がないと、後見人を辞任出来ない、アリ地獄のような状況です。
ところで、叔母二人が独身で、祖母の没後、精神的にダウンした背景には、終生子離れせず、無意識のうちに彼女たちを支配した祖母の存在があると思っています。
入院中の叔母は、祖母の生前から「マミちゃん(祖母のこと)死んだら私も死ぬの」というくらい、祖母に依存していました。
祖母は極度に心配性で、私にも、顔を合わせるたびに「悪い人が多いから気をつけなさい」(しかし具体的にどう気をつけるべきかは言及なし)という人でした。
亡くなったときには、「みんな仲良く」という書き置きが出てきましたが、そんなのより1億くらい残してくれたらよかったのに、と思ったことを思い出します。
祖母は若い頃、師範学校に行って、教師になるつもりだったらしく、そのまま生涯独身で、女学校の先生にでもなっていれば、私がこんな目に遭うこともなかったのに、と思わずにはいられません。
祖母への恨みつらみをさらりと流せるほど達観していないのですが、死後二十余年を経てなお悪影響を及ぼす祖母をさらりと憎めるくらいの境地には至りたいと思っています。
その心構えについて、お上人方のお考えをお聞かせ頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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憎んだ後に慈悲に転じる
さらりと憎むというのは難しいですね。
もしも祖母がニワトリに生まれ変わっていたら、昨日食べた唐揚げが祖母だったかもしれないので、「ざまぁ見ろ。でも美味しかったよ。」と思っておきましょう。
でも、出会う生き物全てが祖母の生まれかわりの可能性がありますから、全ての生きとし生けるものを憎み続けるのは疲れます。
そこで、憎み終わったら慈悲に転換を。
慈悲が起動している時間は、怒り憎しみのストレスが停止しますから、あなたの健康と幸せのためには、憎しみよりも慈悲が役立ちます。
にっくきニワトリの唐揚げを食べた後に、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて、そのニワトリが今度は極楽浄土の菩薩様に転生できるようにと願いましょう。
悟って煩悩を滅するまで(成仏するまで)私達の輪廻転生は続きますが、悟りやすい極楽浄土では誰でも、阿弥陀仏の導きにより確実に成仏できるはずです。
質問者からのお礼
願誉浄史上人
さっそくのご回答、ありがとうございます。ニワトリに転生!斬新な。
私はトリの唐揚げが好物で、思わず笑ってしまいました。
憎み終わったら、慈悲に転ずる。
さらりと憎む以上に高度ですが、心がけたいと思いました。
御礼申し上げます。