祖母のこと
祖母が亡くなってはや20年が過ぎようとしています。
私が就職難の時代になかばニートになりかけていたあの孤独な日々に無償の愛、それもともすれば親子間の拗れた愛憎の日々において、全肯定の穏やかな笑顔にどれほど救われたか。
そんな祖母が時折、具合の悪い時も家のことで働かされ、実家にも帰らせてもらえなかったことを漏らすのを聞いていました。
祖母の娘である母から伝え聞いた話では、義両親と同じ墓に入れないで、と言ったとか。
そうは言っても祖母は舅姑と同じ墓に。
もやもやしつつも生の世界の道理がそのまま引き継がれるものかもわからないし、このことをどう捉えたらいいのかなと思います。
大好きな祖母が憎んだ舅姑も聞いている話が祖母や母からの一方からだけなので人となりの全てがわからないものの、悪き昔の家父長制の文化の中でそうなるのも仕方ないのかもしれませんが、私の頭の中では悪者として思い描かれてしまいます。
それでもいなかったならば私はこの世に生を受けなかったわけで祖先として感謝もし、供養もしないとなと思いつつ、心の中のわだかまりをどうか整理したいと思っています。
なにしろ私だって立場が変われば誰かの目の上のコブ、悪者にだってなっているかもしれませんから。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなたを慈しみながら極楽浄土で微笑んでくださっているでしょう
あなたが愛おしくて、気にかけてくださっていた祖母さまだったのですね。自分を認め受け入れてくださる存在は、生きる支えと言ってもいいくらい。素晴らしい方だったのですね。
祖母さまの生きる立場もまた、苦悩があったのですね。あなたが、祖母さまに支えられたように、祖母さまも あなたへ注ぐ愛情が何よりの喜びだったように思います。
同じ墓に入ろうが、行く先は墓石の中ではなく、仏様の世界であります。この世での苦しみから解放され、嫌な人とも嫌なまま会うことはないのです。祖母さまは、安楽の喜びと、あなたを慈しみながら、極楽浄土で微笑んでくださっていることでしょう。
供養しなければと思い込むよりも、今のあなたの想いを聞いていただきましょう。感謝する日があったり、懐かしむ日があったり、先祖を想いながら手を合わせていけばいいのですよ。仏様は、ちゃんと見ていてくださり、亡き人へあなたの想いを届けてくださいます。
質問者からのお礼
行先は墓石の下ではなく仏様の世界。
もうこの世の悩みや煩いとは離れた境地に、祖母も曽祖父母もいると言うことですね。
この世の恩讐を越えて極楽浄土から私たちのことを見守っていると思うと安堵します。
私は祖母がいればこそ浄土のあり方がわからないながらも心に浮かぶ祖母の顔がいつも穏やかな笑顔で、それを信じて良いのですね。
ありがとうございました。