運命について
いつもお世話になっております。私は10年ほど前に悪性リンパ腫を患いましたが、抗がん剤が効いて助かりました。しかしその後も、部位は違えどガンを2度も発症したのです。
それでも、運良く助かっているのです。昨年、婚約者はたった3ヶ月の闘病で亡くなり、今年母も旅立ちました。私だけが残された意味とは?生かされたことはありがたく思います、ですが1人残されて悲しくてなかなか前を向くことが出来ません。
毎日、仏壇に話し掛けています。母の49日、納骨も近くなり
遠くへ行ってしまうのですね
喪失感から抜け出せません。 どうしたらよいのでしょう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
聞かせて下さい愛する人のことを。語っていく中に生きてくださる
医学の進歩があっても、病には逆らえませんね…
いつか別れの時が来るであろうと考えていても、やはりそれは突然なのですよね。次々に愛する人・支えを失えば、一人で立っていられなくなりますものね。
残されていくのも、耐え難いものですね。
私も、どうやって越えてきたのだろうかと思います。20年経っても苦しいものです。
それでも、周りとの繋がりがあったから、いろんな支えに出会えたから、今もこうして涙しながらも懐かしむことができています。みんなのおかげかな。
こうして繋がっていましょう。
一人になりたいときもあるでしょうが、孤独になってしまうと、心が潰れてしまいますからね。こうして繋がりながら、亡き人と一緒に生きていきましょう。
聞かせてください。愛する人のことを。あなたが語っていく中に、生きてくださるのですもの。
あなたは一人ではありません
愛する人を続けて二人も亡くされたとのこと、本当に悲しいですね辛いですね。そして、あなた自身も癌との闘病をされていたのですね。回復されたことを嬉しく思います。
生老病死は人間が避けて通れない道です。そしてその人その人にいただいている命があるようです。誰が生かされて誰がそうではないのかは量り知ることができません。
しかし、亡くなった方は無に帰するのではありません。あなたがお仏壇に話しかけている事はちゃんと聞いてくださっています。亡き人のためにお仏壇に手を合わせると、亡き人のために手を合わせたのに、お詣りした後に何故か心が落ち着く、ほっとするようなご経験がありませんか?
これを回向(えこう)と言います。回向とは仏様のはたらきを言います。
あなたがお仏壇に手を合わせると亡き人は必ずそれに応えて慈悲のお心を手向けてくださいます、この為にあなたは安心(あんじん)を頂くのです。つまり私たちと仏様は一方通行ではないのです。ですからあなたはひとりぼっちではないのです。
そして、このhasunohaのお坊さんもあなたを一人にはさせません。辛い時はいつでもここにお気持ちをお聞かせ下さい。合掌
質問者からのお礼
ご住職さま、優しいお心を添えて下さって、ありがとうございます。先日、形見分けに親戚を回ってきたのですが、もう他人ごとのようでした。全ての痛みは己の身に起きてこそ、知るものかもしれません。お仏壇に手を合わせ、亡き人と話をしていこうと思います。ありがとうございました。