どうして私ばかり
すみません、長文です。
昔、子供のころ
一緒に暮らしていた祖母に
泥棒扱いされたことがあります。。。
もちろん取ってません
妹には疑いをかけず、
何故かバイトしていてお金を持っている
私だけに矛先が向いてました。
悔しくて哀しくて家を飛び出し
その日は
友達のところに1泊させてもらいました
そのころの我が家は祖母が何でも一番でエラく、
口答えは許されない・・・
といった厳しい家でした
父親でさえ従っていました
母親は今思うと祖母に本当に酷いこと、
つらいことを沢山させられていました。
でも母親は
「自分たち(私から見て両親)が
会社のお金がなくて(うちは自営業)取ったの
この子は取ってません」
と、私を泣きながら一生懸命にかばってくれました
しかし父親は
「もし、取ったなら返しなさい」
と、私を泥棒扱いしました。
今でも鮮明に覚えています。
結局、
ただ祖母がボケていただけというオチでした。
それから私は父親と関わることを一切やめました。
高校も一切相談せず、勝手に決めました。
そうしてだいぶ月日は流れ、
とうとう直接対決する時が来て、
私は思いっきり泣きながらただひたすら謝れ!謝れ!
あの時の私に謝れ!!!と父親にいい続けました。
でも父親は何のことだ、俺は知らない
と言ってきました。
結局母親と妹が父親をなんとか諭して
最後の最後でやっと謝罪してきました。
そのあとは徐々にですが
父親とは普通に喋れたりしています。
でも心のどこかで私をまだ疑ってるのではないか?
とか勘ぐってしまいます。
祖母は私に対しての謝罪は一切なかったのですが、
後ろめたいのか、ひ孫をつれて遊びに行くと、
お金をいくらか必ず帰りに私に渡してきました。
私は拒否したかったのですが、そうすると母親が攻め立てられるので
全部食費の足しにして1円も残さず使いました。
形に残るものを持っていたくなかったからです。
何?今更罪滅ぼし?
こんな私はココロが狭く、器の小さい嫌なやつでしょうか?
時々思い返しては、
なんとも言えない気持ちになったりします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
やられた事を許す為に必要なこと
チョコレートさんこんばんは初めまして
武田正幹と申します、よろしくお願い致します
幼い時に身内からあらぬ疑いを掛けられること本当に忘れられないですよね。お気持ち良くわかります。
ガンジーの名言に次の様な言葉があります
『非暴力は暴力よりも無限に優れ、許す事は処罰よりも遥かに立派である』
貴女が受けた苦しみは貴女をずっと苦しめます。貴女の父親の様に本人は忘れていても、ずーっと禍根が残ります。
それは貴女からもしかしたら許せたであろう気持ちを奪い、相手を責続ける動力になってしまいます。
上記の文はインドの有名なガンジーさんの名言です。
許すという行為はとても大変です。やられた事を全て水に流し、やられた方だけが苦しみを自力で消化しなければいけません。相手にぶつける事も出来ないのですから、それはとても尊い行為でだからこそ立派なのだと思います。
貴女は心が狭いのではありません。心が狭い方はきっとそんな気持ちすら懐かないと思います。貴女は貴女自身を苦しめている原因しっかりと理解しており、後はタイミング次第なのではないでしょうか。
貴女が今抱えている苦しみはお二方が誠意を持って謝らないと解決しないかもしれません。しかし、それが現状不可能なのだどしたら、貴女が二人の見本となって『許す』という尊い姿勢を見せ、家族に、娘さんにその行為の尊さを語ってくださいませ
過去のわだかまりが払拭し、縛られることなくのびのびとした生活を1日も早く送れます様ご祈念させて頂きます
質問者からのお礼
今でも時々思い出しては何とも言えない気持ちになります。
過去に縛られているのも解ってはいるのですが・・・。
でも今はそういう気持ちがついてきたら
ただ去るのを待ち、
忘れている時に楽しいことを沢山しようと思いました。
ありがとうございました。