同性が嫌い
私は女ですが、同性が大嫌いです。
理由は、性格が悪いからとか、だいたい嫉妬とかなんですけど、みんな嫌いです。おばちゃんとお年寄りは平気です。好きな場合もあります。
女子の、顔も髪型も服も声も名前も嫌いで、現在男友達しかいません。
小さい頃は女友だちいましたが、今はいないし、何回も裏切られたり疎遠になった事もあります。
女嫌いだけじゃなく自分の性格が歪みすぎてるのもわかるんですけど、本当に嫌いなんです!
生理があるのも辛いし、化粧も嫌いでしません。髪も短くしてます。
自分はかっこいい顔立ちで、女らしい顔の人も憎かったりします。
街を歩いてもテレビを見ても女にムカつく日々で生きにくいです。
なにかいい考えはないでしょうか?
おかしいのはわかっています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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中性的に生きる
人間より上位といわれる天人には女性がいません。
では男性ばかりでむさくるしいかといえば、男性でもないのです。
天人は人間や畜生のような固い体を持たないようです。天人には五感のうち目、耳、鼻の感覚だけは辛うじてあるけど、舌と体の感覚はないと言われているので、要するに食べたり排泄したりする機能がないと考えられます。親の体からではなく自分の心だけでぱっと生まれるので、生殖機能もないと分かります。天の美しい色形、天の音色、天の香りだけを楽しみます。
人間はそれにしがみついていますが、本当は体とは煩わしいものです。歳をとって体がうまく機能しなくなると特にそう感じます。
人間の中でも色恋沙汰や食べること・健康にばかり夢中な人を見ると、そういうものに必死な畜生道に近いのかなあと思えたりもします。
世間では男と女をあまりにも絶対的に見過ぎのような気がします。LGBTでしたっけ、自分が反対側の性に変わったりすることを勧めてさえいるようですが、仏教から見れば、やり過ぎです。生まれつきの体の機能は、女か男か決まっています。手術やホルモンでいろいろやっても、それが体に負担で、無理過ぎです。
自分の性が煩わしい場合は、仏教的には、反対側に進むのではなく、中性的にいることが良いと見ていると思います。体の機能は仕方ありません。体にメスを入れないほうが良いです。そのうえで、心は、女とか男とかをあまり考えないようにすればよいと思います。
女性とはそれで乗り切れるのではないかと思います。男性と接するときは、一応、要らぬ誤解も生じないように、しかしわざわざカミングアウトする必要もないので、普通の女性が男性に気を付けるように接していればいいと思います。
中性的とは人間よりむしろ上位の生き方かもしれないと考えて、心が汚れないように生きてみるとよいのではないでしょうか。
質問者からのお礼
ありがとうございます!