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死ぬことについてと、この先の地球

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有り難し有り難し 2

三十代、一児の父です。ここ最近、ほぼ毎日寝る前くらいの時間になってくると、死ぬことについて考えてしまい、動悸が苦しくなる事があります。

若い時でも考えて寝れなくなるといった事はたまにありましたが、子どもが3歳になって段々大きくなってくという事を思っているため、余計生き死にについて考えてしまうのかもしれません。

こう打ちながら何が恐怖なのか考えてみると、こうしている今もどんどん時が過ぎていることが恐怖なのだと思います。

子どもも大きくなる。自分も死ぬ。それを繰り返していく内に数百年、数億年は経っていってしまいます。その時に人類はどうなっているのか、地球は宇宙はどうなっているのか、そんな自分が考えてもしょうがない事に対しての恐怖で精神が蝕まれる感じになります。

最初とは、書いていることが変わってきてしまい、申し訳ないです。少しでも、この心の落ちどころができれば幸いです。よろしくお願いいたします。

2023年4月16日 19:08

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ゆっくり見つめて下さいね

拝読させて頂きました。
あなたが死について考えてしまうと不安で仕方がなくなってしまうお気持ちを読ませて頂きました。あなたがその様にお考えなさってしまうのも自然なことです。あなたのその不安やご心配な思いを心よりお察しします。
普段は何げなくあまり生きることも死ぬことも考えずに私達は生活しております。
しかしよく自分のことや周りのことや生きることを考えれば考える程不安や疑問や迷いが無限に湧き上がってくるのです。不安がいずれ恐怖に変わっていくでしょうからね。
生きているものは生きることや死ぬことに対して敏感です、というか全てに優先されることです。ですから日々というか一瞬一瞬生きることに対して必死に向き合っているのです。いかにして生き延びるか生き残るか或いは次の種や世代を残していくのかに命を捧げているのです。
ですからあなたがあなた自身やお子さんやご家族や親しい方々の生きることや死ぬことに向き合って考えて真剣に悩んでしまうことは当然なことなのです。
ですから先ずはどうか安心なさって下さいね。
そして落ち着いてゆっくりと一息ついてからあなたが生きることやお子さんが生きることやご家族が生きること皆さんが生きることそして亡くなっていくこと、次の世代が生きていくこと、人類が生きていくこと、生きものが生きていくこと、自然や地球が移り変わりゆくこと、星や銀河や宇宙が移り変わりゆくことを思い巡らしてみて下さい。おうちの外に出てみると星々や月や銀河が光り輝いてます。
昼間に外に出てみると沢山の花々が我先にと咲き誇っています。
今朝早くにウチの本堂に向かっていた時に虫が羽ばたいて舞い込んできました。鳥達がさえずり合っておりました。そして今も春のあたたかな日の光りがあまたのものに私達にふりそそいでいます。
生きものは一生懸命に生きています、そして与えられた命を生き抜いて亡くなっていき、そしてまた新たな命が恵まれ育まれていきます。
どうかゆっくりと心を込めて生きる死ぬことを見つめて下さいね。
あなたや皆さんが与えられた命や人生を本当に大切な人達と一緒に心から豊かに健やかに生きていかれます様に、心から仲良く皆さんと幸せに生きていかれます様に切に祈ってます。そしてあなたを心より応援させて頂きます。

2023年4月17日 12:45
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。あまり急がずに答えをだそうとせず、ゆっくりゆっくりと向き合っていこうと思います。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ