私の「定命」は・・・(安楽死所望)
私は、あと何年、苦しまねばならないのでしょうか?
「老いも病も受け入れよう」(瀬戸内寂聴・著、新潮社)
7年前に、この本を読んでいるのですが、受け入れられない自分に、折り合いをつけられません。
私は、寝たきりの状態や認知症になってまで、生きていたくありません。私は、その可能性が高く、安楽死が認められていない今の日本では、長生きしても苦しむだけです。
前回の質問で、文中に「親の二の舞を演じる可能性が高い」と書きましたが、本当にそうなりつつあります。昨年、特殊詐欺の被害に遭ってから、その傾向に拍車がかかったと感じます。
私は、これまでに、何度か「殺されかかったこと」があります。とりわけここ数年、その時に殺されていれば・・・と、夜中にうなされることが、増えました。
登録名・しげさん様(名指しでゴメンなさい)のつぶやきに、「安楽死希望」という主旨のものが、あったと記憶しています。私の考え方と、かなり近いです。ただ、今の日本では、安楽死は認められていないので、親の介護が終了して「お役御免」となっても、私はまだ「生きて」いますが・・・。
質問やつぶやきを読むと、「死にたい」「なぜ生まれたのか」などと、嘆く方も多いですが、もっともな話です。回答僧の皆様の考え方にも、一理ありますが・・・。
読売新聞社に、「安楽死を容認する法案を、早急に成立させるよう、国会議員に働きかけを・・・」という投書も、出しています。ことごとく「無視」されましたが・・・。
回答僧の皆様は、問答を読む限りでは、ほとんどの方が、安楽死に「反対」のようですね。
私は、独り身なので、長生きする必要性は、ないでしょう。兄とは、ほぼ絶縁状態です。兄は、「死ね」と、私を罵倒しましたから・・・。
本音を言えば、国会で「安楽死容認法案」が成立したならば、その権利を行使したいです。そうすれば、死の予定日から逆算して、慈善団体にいくら寄付可能か(残りの生活費の計算)などの、数字・金額を弾き出せますし・・・。
字数制限の関係で、文章をかなりはしょってしまったので、要点が曖昧になったかもしれません。
私が、受容できない自分を受容することは、永久に不可能なのでしょうか?
「一切皆苦」と言いますが、安楽死が認められていない今の日本の現状では、死ぬまで七転八倒するしか、選択肢はないのでしょうか?
このhasunohaを、小学館集英社プロダクション発行の本で、知りました。(登録は2019年) かつては、列車で、各地(北海道を除く)を巡りました。 よろしくお願いいたします。
「安楽死所望」の一方で、心のどこかに「死」に対する恐怖心がある。 加齢とともに、親の二の舞を演じる場面が増え、無力感が募る。 受容できない自分を受容できない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どうせ死ぬなら、を活かす道もあります。
どうせ死ぬなら、と出家されて修行に打ち込んで素晴らしい僧侶になられた方もいらっしゃいます。
どうせ死ぬなら、断食修行、滝行、10万回の五体投地、10万回の般若心経、お遍路巡礼、奉仕作業、掃除修行、なんでもあります。
どんな修行も集中することが大事です。新聞とってますか?ネットニュース見てますか?これらの修行をするときは、情報断食してください。
一切皆苦、そうですね。苦しみは真実に向き合わない限りは終わりません。仏教は苦しみの教えだと思いますか?そうだとしたら勘違いです。仏教は喜びの教えです。
仏教の修行とは六波羅蜜です。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智恵ですね。そして精進とは喜びの心を育てることです。
喜びの心を育てるためには、心を軽くしていかねばなりません。
すべては始まりがあって途中があって終わりがあります。これは無常の教えです。特殊詐欺でお金がなくなって苦しくなったら、お金は無常だという真実にまだ目を向けられていないのです。
あなたが見ている世界の見方は無常です。あらゆる思想も無常です。あなたもまた無常です。あなたの記憶もまた無常です。無常とは夢のようなものです。原因と条件と結果からなる夢です。無常に沿って生きることは、今を執着なく生きることです。期待がなく、絶望もありません。
無常をわかるということは、とても難しいことです。無常を知識ではなく、無常として生きることは心の軽やかさをもたらします。
どうせ死ぬのだから、と言ってやる気が満ちてくるのが無常に生きる人です。
今の悲観的な自分や、絶望的な社会や世界が死ぬまで続くと考えるのは、あなたの心が無常を拒否しているのです。
赤ん坊が大きくなるのも無常です。わからなかったことがわかるのも無常です。悲観的なものの見方が前向きな見方に変わるのも無常です。悲しみが喜びに変わるのも無常です。この文章を読むことができるのも無常です。
無常であるが故に苦しみの滅と、悟りの開花があります。
一切皆苦であり、苦しみの滅があることを説いたのがお釈迦様です。それは死ぬことではありません。
死を思うならば、今とは違う思い方があります。
あなたの苦しみが私に実りますように。それによってあなたが苦しみから逃れることができますように。
質問者からのお礼
善財童子様
回答頂き、ありがとうございます。
「無常」
この無常が、難しいですね。
今日明日のうちに死にたいというわけではないので、じっくり考えたいと思います。
質問とは全く関係ないのですが、今「智歯周囲炎」の痛みで、困っております。
親知らず(智歯)を抜くか否か、決断を迫られています。(根本的な解決策は、抜歯しかありません)
とりあえず、この件にケリをつけてから、再度回答を読み、改めて考えます。
またご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。