hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

ふとした時に死にたくなる

回答数回答 1
有り難し有り難し 2

死にたいとふとした時に思います。頑張れば未来は楽しいとわかっているけれど、それを乗り越えていくのが苦痛と思っているからでしょうか?
現在の私の状況を下記にて箇条書きします。

・6月末に退職
・転職先は決まっていない
・7月以降に恋人の居る関東に引越し予定
・家族には同棲したいことは伝えているが、同棲時期が早まったことは伝えていない。退職についても伝えられていない。
・過去に適応障害で休職したことがある。現職場でも休みが続いた日がある。彼氏にこのことは伝えていない。
・休職期間があるため転職活動が上手くいかないのではないかという不安、今回の仕事の勤務期間が短いことにも何か言われるのでは無いかという不安
・配信活動で収益化が出来る見込みがあるが、それに本腰を入れていいのか

会社のしていることについていけないと感じていたため、年内には退職しようと考えていました。早まったのは会社から無理難題を押し付けられそうになったためです。そのため、数日前に退職を決め、上司にも伝えております。

退職を決めたことに後悔はないですが、お付き合いしている期間が短いのに遠方まで引越しを決めていいのか、一人暮らししている今の場所で仕事を探すべきなのか、実家に帰ってその近くで探した方がいいのか、あるいは配信活動に専念した方がいいのか自分で決めきれません。

色々な不安感からふとした瞬間に死ねたら楽なのになあと思ってしまいます。

今はそんな気持ちになった時は貯金を使い切るまでは、と気持ちを思い直していますが、転職先がなかなか見つからず貯金が無くなった時に自分がどうするのか分からない部分があります。

文章が散漫で読みづらいかとは思いますが、お言葉いただけましたら幸いです。
何卒宜しくお願い致します。

2023年5月4日 12:18

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

拝読させて頂きました。
あなたは今様々な迷いを抱えておられるのですね。仕事でもプライベートでもどうしたらいいのか、どうするべきなのかと思い悩んでおられるのですね。そしてそんな時ふと死にたいと思ってしまうのですね。詳細なあなたの状況やお心はわからないですけれども、あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
宜しければどうかひとまず一度ゆっくりと一息ついてみて下さいね、ゆっくりとあなた自身の心身も休めて頂きながらゆっくりと癒やしてあげて下さいね。そしてゆっくりと立ち止まってみてはいかがでしょうか?今直ぐにあれこれやらなければならないわけではありません。
あなたの身体を休めてあげて少しずつでも心にゆとりを持たせてあげましょう。
あなたの人生はこれからもずっと続いていくのです。
急いては事を仕損ずる、かとも思いますし、脚下照顧です、自らの足元をしっかりと見つめ直してからよく考えて歩み始めるのでもよいのです。
あなたには与えられた命がありますし、あなたを沢山の方々がいつもお見守りなさっていて下さいますからね。
生きていく中では迷いも悩みも苦しい時もあります、死んでしまいたいと思ってしまうことも何度もあるのです。
あなたの迷いや悩みについてはどうかおっしゃって下さい、信頼できる方々にもご相談なさって下さいね。そしてあわてないでゆっくりとこれからの未来を見つめてみましょう、今はなかなか迷い多いでしょうけれども、歩んでいく中であなたにとって望ましい道が見えてくると思います。
あなたを心より応援させて頂きますね。

2023年5月4日 20:52
{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

「死にたい・死にたいほどつらい」問答一覧

最悪の事態になりそうで、気が狂いそうです

正気を疑うような内容ですが、本当に切迫しているので、お話を聞いていただきたいです。 本当は表で話したくないのですが、非公開相談はお金がなく、緊急事態なので勇気を出して話します。 最近、家族を殺したらどうなるかという異常な興味と衝動がわいてしまいました。 しかも、性的な欲求も加わっているような感じがするのです。その光景を想像した時に体が性感を感じてしまい、耐えきれないほどのゾワゾワした感覚が全身に広がり恐怖を覚え、今の切迫した状況に陥っています。 恐怖と不安で毎日泣いてしまい、食事も喉を通らず、本当に興味と衝動に耐えきれず家族を殺したらどうしようと動く事すらできず、ほぼ寝たきりの状態になっています。 「大切なものを壊したらどうなるか」という思考から来ているのですが、大切なものは壊れてほしくないはずなのに、それが大切な人ならなおさら命は二度と戻ってこないとわかってるのに「二度と戻らないからこそやってみたいと思わないか?」という思考が頭によぎってきます。 特に一番大切に思っているはずの母にその衝動が向きます。他の家族にも向く事はありますが、母の時ほど切迫しません。みんな同じくらい大切な家族なのですが… そしてなぜか、衝動のほうが強くなり家族への情が消えてしまったような感覚があります。 私は家族に危害を加えてしまう事を恐れているのか、興味と衝動に従えない事に苦しんでいるのか、そもそも興味と衝動が単なる錯覚のか、それすらもわからなくなっています。 楽しいような、笑いそうな感覚もあるように感じ、自分に酔っているような感覚もあります。 私自身が元からおかしいのか、脳がおかしくなっているだけなのか… おそらく加害恐怖なのだとは思います。 母本人は相談を全て受け止めて聞いてくれて、「そうなったとしても反撃するし、グロテスクなものや血を怖がるあなたにはできないから大丈夫」と言ってくれます。 「自分も人も命と人生は一つしかない」「自分の一時の興味のために、大切な家族の一つしかない命も自分の一度きりの人生も壊すのか」と考えたら、少し気持ちが落ち着きました。でも、またいつ興味や衝動が起きてそれが勝ってしまうか…本当に怖いです。 もしこの衝動が消えなければ、家族が傷つかないよう、自殺する事を考えています。それも家族が傷つく事だとわかっていますが… どうか解決のヒントを教えてください。

有り難し有り難し 5
回答数回答 2

いつ死ねるのだろうと考えてしまう

子どもの頃に「朝起きたら死んでたらいいのに」と思うようになってから、ずっとそういう気持ちがどこかにあります。 幼少期から20代は辛い環境にあり、絶対幸せになるんだと思ってガムシャラに頑張れました。紆余曲折をへて、思い描いたことは手に入れたように思います。はたから見たら何の不満もなさそうな環境にあると自分でも思います。何をぜいたく言っているんだと、お叱りを受けると思います。 でも、心の奥底に、私はいつ死ねるのだろうという気持ちがずっとありときおり顔を出します。 何か楽しみを見つけられたらと色々とやってみましたが、楽しそうなフリはできても本当のところは楽しむことができていません。独りになると、虚しさだけが残っています。 あんなに好きだった仕事にも、楽しみにしていたはずの子どもの成長にも、優しくしてくれる家族や美味しい食事や贅沢なことにも、非道いと思いますが本心では興味が持てず、漫然と過ごしています。 目標にしていた幸せな環境を作ることができたので、生きる目標を失ってしまったからでしょうか?これからどのように生きたら良いのか見出せず、時間が過ぎていく日々で苦しいです。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

自分を許せない

生きていたくないですって何度も相談してしまって申し訳ございません。介護の仕事をしていて相手の立場になってやらないといけないのに自分を優先してしまう時もあります。何度も同じことを大きな声で求めてくる方がいます。食後の薬と歯磨きを自分が食べ終わったら一番にやってもらいたいからです。しかし食事介助が必要な方がいるので待って欲しいと伝え少しの間は待ってくれますがそのうち「くれないならいいや」「歯磨き連れて行ってくれないならいいや」と投げやりに言ってきます。食事介助が終わり残りの方の服薬については別の職員に頼んで全盲の方の服薬と口腔ケアを行ないます。居室に歯磨きに誘導する時に「ここはお家じゃなくて他の方もいます、食べ終ればすぐにお薬を出せないです。順番にやるので大きな声を出さないで待っていてください」と強めの口調で言ってしまいます。認知症なので一度、言った事を忘れてしまう事は分かっていますが どうしても強い口調で言ってしまうのです。そんな自分が許せず家に帰って衝動的にリスカしてしまいます。少しでも傷つけてしまった心と同じ痛みを味わおうと思ってです。今までは仕事中でも声を荒げたくなることはなかったですが ここ最近はイライラし通しです。こんな自分を許せません。入退院を繰り返してした時には看護師の方はどんな時でも優しい言葉でした。その経験を受け医療の資格がなくても出来る介護の仕事を選んだのに今の私のやっている事は正反対です。仕事に行こうと思っても精神的に苦痛になります。心療内科の医師は妥協も大事と言ってきますが出来れば自分を痛み付けたりしないです。後悔もしません また仕事に行くと今日こそは優しい言葉で話そうと心で思っていても同じ事を繰り返しています。こんなやさしさの欠片もない私は生きていていいのですか? どうすればこのような私は死ぬことが出来ますか?生きていていいのですか

有り難し有り難し 28
回答数回答 3

自分さえ居なければと思ってしまう

すべての苦しみから逃れたいという気持ちと、自死や自暴自棄などで身近な人に迷惑はかけられないという気持ちの間で葛藤しています。 私の悩みの種の大元は人間関係にあります。周りの人と同じように、誰かと暖かで安定した関係性を築くことができず、それがコンプレックスになっています。つかみはうまくいっても、関係が思い通りにいかなくなるといつも人が怖くなって逃げてしまいます。長く一緒に生きた家族との間でさえなんともいえない気まずさがあります。 人間関係で失敗して誰かを傷つけたり迷惑をかけたなら、反省して同じ過ちを繰り返さなければよいのですが、いつも私は反省するよりも先に拗ねてしまい、「私は相手の人生を損なった。私がいなければ最初から何も起きなかった。こんな私の存在のせいで誰かが不快になることもなかった。」と考え、人と関わることを避けたくなります。そして人とうまく関われない自分には価値がないと思い、自らの人生を虚ろに感じます。そうしているうちにやがて自死について思考が至りますが、私と関わった人に罪悪感を与えたり、家族に迷惑をかけたりする可能性があると思うとできません。自死もまた私の存在によって周りを不幸にさせる行動のひとつだからです。しかしこのストッパーさえなければ私はいままでのどこかのタイミングで自死を選んでいます。「自分が生きていても迷惑をかけるだけだ」と感じたとき、死ぬのもまぁ迷惑だけどそっちのほうがコストパフォーマンスがよく思えてしまいます。 私の不幸の根幹は私の深刻な逃げグセにあるのだと思いますが、だからこそ「変わる努力をしろ」という真っ当な言葉からも逃げたいんだと思います。自分自身の人生から逃げています。 全てが面倒です。 くじけずに生きていくことがすべてだとは分かっていますが、くじけずに生きていくための元気がありません。 自分に生きる価値がないと思っていながらどう生きていけばいいでしょうか。どのように考えればよいでしょうか。どのように考えれば死の魅力から逃れて、自分や他者を大切にできるようになるのでしょうか。

有り難し有り難し 8
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ