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神様はどんな人でも赦してくれますか?

回答数回答 1
有り難し有り難し 16

私は幼い頃、お店の物や友達の物、学校の備品などを盗んでしまっています。
ですが、それらはすべて見つからず、謝罪もできぬまま終わってしまいました。
そのことをずっと後悔して生きてきました。
赦されたくて、私は今まで自分よりも他人を優先し、他人に優しくするよう心がけて生きてきました。
今も困っている人の役に立てるような仕事に就くために一生懸命勉強しています。
正直おこがましいですが、自分は他人より人に優しく、真面目生きていると胸を張って言えます。
ですが、これもすべて私が私の罪を償うためにしていることであって、私のエゴです。
本当に優しい人にはなれていません。
少なからず見返りを求めてしまっていますし
他人によく思われたい、愛されたいと思ってしまっています。
私の罪滅ぼしのために他人を利用しているように思えてしまって自分が嫌になってしまいました。
私のしたことはいくら子供だったからとはいえ、到底許されることではありません。
今まで盗みを働いてしまった何件かのお店には謝りに行ったりしたのですが、潰れてしまっていたり、遠くにあって行けなかったり、そもそも場所を忘れてしまったりして謝罪できない所もありました。
友達も今どこにいるのか分かりません。
学校にも数年前のことを言っても先生も変わっているだろうし、迷惑になるかもしれないと思い、行けていません。
盗んだものも、もう手元にないんです。
こんな私は赦されないですよね。
すごく身勝手ですが、地獄には行きたくないです。 
赦されたいです。
見返りを求めない、本当に優しい人になりたいです。
最近では考えすぎて食事も喉を通らなくなってしまいました。体調も崩しがちです。
何をしても楽しいと思えません。
友達や家族に優しくされるたび申し訳なくなります。
神様から罰を与えられたのでしょうか。
自分が気づけていないだけできっと私は今まで、他にもたくさん罪を犯していると思います。
こんな私は幸せになってはいけないのでしょうか?
助けてください。

2023年5月19日 12:53

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

辛い思い手放して下さいね…そうして良いのです

 『こんな私は幸せになってはいけないのでしょうか?』とおっしゃっていますが、あなたの幸せを阻むものは確かに存在して、それは「あなたの今の心」です。
 あなたは御自身で「自分が幸せになってはいけない」と思い込んでいらっしゃるのではないでしょうか。ならば御自分が幸せになることは無理です。
 いえ、もしかするとあなたの心の中に「自身幸せになる方法はあるはずなのに、自分でどうすれば幸せになれるか分からない為に、幸せになれないことにしておこう、そのほうがラクで傷付かないから」…という深層心理が存在しているのではないでしょうか。
 あなたの行為は随分昔のことのようですし、今から盗ったものを返すことも 相手に謝ることも出来ないことでしょう。またどれほど前のことかは分かりませんが、刑法の窃盗罪には時効があります。少なくとも法律上は罪に問われなくなっているか、問われなくなる日が必ず来ます。
 でも、今は法律よりもあなたの今後の心の在り方を考えましょう。
 あなたの行為は良くないことですが、しかしかつて何かしらの行為を行ったことが一生あなたを束縛し続けるのでは、あなたは窒息してしまうでしょう。それはあなただけではなく、私も含めて人間は皆そうです。
 阿弥陀という仏様はあなたの行為を許すのではなく、あなたの罪を一緒に背負うとおっしゃってくださる仏様です。許せないからこそ心配で、許せないからこそ救うとおっしゃる仏様です。
 なぜならあなたのかつての行為は、又そのことで生じたあなたの苦悩は阿弥陀仏にとって他人事ではないからです。『みそなわすこと自己のごとし』(あなたの言動全ては阿弥陀仏にとって別物ではない 御自身に起きていることだと捉える)仏様だからです。
 あなたを放っておけないからこそ、あなたの苦悩を我・阿弥陀に任せよとおっしゃって下さいます。
 どうぞ、あなたが今抱え込んでいる苦悩を阿弥陀様に渡して下さい。
 手放せば心軽くなります。手放せばラクになれます。
 そうしていいよ、そうしておくれ…とまでおっしゃってくださる仏様がいらっしゃることだけは事実として忘れないで下さい。
 あとはあなた次第です…どうか、これ以上仏様に辛い思いをお掛けしない下さいね。ともかく「任せておくれ 大丈夫だよ」の仏様です。
 本当の幸せに出遇っておくれと願い続けてくださる仏様です…。

2023年5月19日 21:47
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

小林 覚城 様
ありがとうございます。
私のしてしまったことは消して許されることではありませんが、こんな私でも幸せになる事を願ってくださる、一緒に罪を背負ってくださる優しい仏様がいるのだということを知り、少し救われたような気がします。
阿弥陀様に感謝し、毎日を精一杯生きて善行を重ねていこうと思います。

「神社・神様」問答一覧

神を信じられなくなって辛い。

カトリックですが、神父さんに相談しても解決しないので、こちらにおすがりしています。 数年前、ヒルティと言う偉人の書いた幸福論3部作に心酔しました。良い事も書かれていて非常に感銘を受けました。只、迷信も結構書かれていて、、書物や場合によっては人との出会いは導き、とか。人との出会いは導き、と言う事を信じてしまい、当時出会った人と結婚しましたが、タイプの方では無かったのですぐに苦しくなり、、やむ無く離婚を申し出て相手を非常に傷付けました。私もそんなひどい事を自分がした事に傷付きました。以来6年半経ちますが、神は何故こんな事をしたんだろうと、考えています。答えは勿論ありません。神を信じられなくなってしまいました。辛いです。神父さんとかは、その出会いにも別れにも意味があると言いますが、彼女の嘆きを見た私には、意味があったとは思えません。何でこんなひどい事を神はしたんだろうと悩み苦しんでいます。神は予定はしない、と神父は言うのですが、納得いきません。ヒルティが迷信を書いていたのを信じたのが悪かったと思っていますが、抜け出せません。どうしたらいいのかなぁ、、何卒宜しくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 37
回答数回答 3

天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

神を信じられなくなってしまいました辛い。

カトリックのクリスチャンですが、神父さんに相談しても一向に解決しないので、こちらにお縋りしています。 数年前に偉人のヒルティと言う人の幸福論と言う著作を読んで心酔しました。何度も繰り返し読みました。確かに良い事も書いてあったのですが、書物や人との出会いは導き、と書いてあったりして、当時の私は私の知らない宗教の神秘かと思い、信じてしまいました。当時出会った女性が自分のタイプでは無かったにも関わらず、運命の人だと信じて結婚しました。直ぐに苦しくなって耐えられない位になり、やむ無く別れをお願いして離婚しました。彼女は号泣して私の胸も引き裂かれる様でした。 以来6年余りが経過しますが、未だ神に逆らって離婚したと言う気持ちが無くなりません。どうして神はこんな事をしたのだろうと答えの出ない問いを続けて苦しんでいます。でも神を信じているから、答えが欲しくて。神父さんにも相談してみましたが、キリスト教も誤った解釈があるとかとは、絶対に言われないので、一向に楽になりません。地獄を彷徨っています。神が何故不幸になる様な事に導いたのかなぁ。どうか宜しくお願い申し上げます。死にたい位辛くてなりません。涙

有り難し有り難し 20
回答数回答 1

稲荷信仰の宗教学民俗学的知見を求めてます

 最近、狐に呼ばれているような気がします。稲荷神社に参る必要性を感じているのですが、どこの稲荷神社に行けばよいのかわかりません。  20歳の時に初めて参り強く心惹かれ、なんとなく購入してきた狐のぬいぐるみを会社に居る間ずっとお世話させていただいていた京都の伏見稲荷大社が筆頭ですが、子供の頃に毎日通っていた千駄木の満足稲荷、今は両親の離婚に伴い縁のない実父の家が代々氏子を務める根津の根津神社内の乙女稲荷、生まれた病院の隣の湯島の花姫稲荷にも縁があります。現実問題として現住所が東京であるため、伏見稲荷大社以外でも失礼にあたらないのであれば、そちらに参りたくもあります。  また、昨年は自殺を考えるまで思い詰めたいた時期もあったのですが、その際に縁もゆかりもなかった女性に救われました。その方とは今は連絡が取れないのですが、不思議な人で、どうも今を思うと言動の節々や所作から、狐だったような気がしてなりません。ただ、この方は仏教系の荼枳尼天に近い気もしており、そうなると仏教系の豊川稲荷に行くべきかもしれません。  祀るにあたってリスクがあると言われる稲荷神ではありますが、それだけに失礼のないよう調査しており、また、この機会に一生祀る覚悟もあります。そうでなくとも、召喚には応ずるべきですし、もしも本当に自殺の間際から救ってくださったのがお狐様であるなら、お礼は言うべきだと強く感じています。故に、気軽に選択できずにいろいろ調べている現状です。  神仏には何かを求めるものではなく、あくまで個人の努力を応援してくださる存在として、私個人の思想と行動を中心に考えるべきということも重々承知しており、現実的な偶然を神秘的な問題と混同する危うさも理解しています。しかし、今回は、なんとなく重要な問題のような気がするので、心の問題というよりも、宗教学・民俗学的問題としての情報を求めています。  稲荷神の分霊に関して、総本宮である伏見・豊川の祭神と、それ以外の全国の稲荷神社の祭神は、神道系仏教系の同カテゴリの稲荷であればそれぞれが等しくどこからでもアクセスできるのか、派遣され憑いてくださるという眷属に関してはどのようなシステムで運営されているのか、全国の稲荷神社に参拝して信心を納めても良いものなのか、宗教学・民俗学に詳しい方がおられましたら、回答もしくは書籍の紹介いただけると幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ