親と罪と心の乖離について
いつもありがとうございます。大学一年生です。
最近、五逆罪というものがあるのを知りました。
もちろん、仏様を軽んじることや傷つけることはありませんが、一方で親とは昔から仲があまりよくなく、気の強い親のいうことに反発してしまうことがあります。
もちろん、言葉にして声に出したり、実際に物理的に罪を侵すことはありませんし、絶対にしないように気を付けているつもりですが、怒りが高まって心の中で悪態をついたり、心の中でNGなワード(4や刹などの言葉)を言いそうになりかけて、はっとそれがいけないことだと気づき言いかけてやめる。などの行為を繰り返しています。一番は家を離れ、自活するのが良いとは分かっているのですが、金銭的に余裕がないのでこうして悩んでいます。また、自分の中でも本気でそのような怒りを持っているか、自分でも分からないのです。親に感謝し、孝行をしたいという気持ちもある一方で、上記のような気持ちが時たま胸を過ぎり、自らの心の狭さと仏様へ背信的な行為をしていることに毎度毎度嫌になります。そもそも、ここにこうして相談をすることにすら葛藤がありました。「お坊さんに相談して、何になるだろう、お坊さんにこの悩みが分かるだろうか、お坊さんに納得のいく答えが出せるのだろうか」などの人を信じない、罪深い心と、「そのようなことを考えてはいけない、そのようなことを考えることは、善行を積み日々励んでいらっしゃるお坊さんの皆さんと我々のことを考えて下さる仏様への酷く無礼な罪深い行為だ」という善くあろうという心がせめぎあっていました。
仏様は、このような罪深く愚かな私でもお救いになって下さるのでしょうか?
また、仏様へのお祈りとして、「南無阿弥陀仏」というお経を唱えるのは、どのように行えばいいでしょうか?なにぶん、特に宗派などはない家庭ですので……
そして、このような罪を懺悔し、悔い改めるためにお寺に通おうと思っています。
東京都内で、そのようなことを受け入れているお寺はございますでしょうか?
どうか、ご回答よろしくお願いします。
自分の心がよくわからない。父母が共働きであまりつながりがなかった。人を信じれない気持ちと信じたい気持ちがある気がする。
親との関係性と、善行を積みたいけれど、時に良くないことを思いついてしまい、そういうのを辞めたい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
両方あるのが本心
こんばんは。私も紛う事なく坊さんですが、心に二面性はあります。あなたが呟きかけた言葉を親に発した事はありませんが、やはり別の人格ですので二面性については同じです。
心コロコロで、時に親に感謝し温かい気持ちになったり、暗く冷たい心を自覚する瞬間もあります。
その、自分の暗黒面を感じたときは、「南無阿弥陀仏」とおとなえし、「ああ、いかんいかん」と懺悔します。
南無阿弥陀仏は、「自分の至らなさを感知し、それ故に南無阿弥陀仏、この世での命尽きたら極楽へ行って阿弥陀様に教えを戴こう」と、自分をリセット、或いは原点に引き戻してくれる行為と位置付けています。
この「使い方」に気づいたのは15年ほど前ですが、それを使い続けているから「暗黒面の言葉」を発せずに来られているのかな、と思います。
ここhasunohaでは、まさにあなたのような方に向けて、「お寺検索」ができるようになっています。所在地で選ぶと、ここに関わっているお坊さんの一覧が表示され、それぞれのお寺で受け入れていることが表示されます。
あなたが私の回答を無下にしても、有難いと思っても自由です。沢山いる、沢山あるお坊さんの中で、あなたの「かかりつけ坊さん」が見つかる可能性が、ここにはあると思いますよ。それはまさにかのサイトの存在価値だと思っているので、どうぞ色んな思いや考えを表明してみてくださいね。
質問者からのお礼
佐藤さん。ご回答、有難うございます。
自分の二面性みたいなものに向き合って、時として自らの悪しき心が噴き出しても、反省し懺悔する心を忘れないようにしようと心に消えました。
とりあえず、大学の近くのお寺へ通ってみようと思います。