自己否定・ネガティブ思考が止まらない
前回は、初めての質問に温かいご回答をいただきありがとうございました。
久しぶりに相談させていただきます。
自己否定・ネガティブ思考が止まりません。
例えば誰かと遊んだとき、趣味に没頭したときなどに、「楽しい」と思うことに対し、"なぜ自分が楽しんでいるんだ..."と。
私の数少ない友人たちはみな心が綺麗で優しいのですが、"なぜ友人たちはこんな私と仲良くしてくれているんだ..."と。
その他、これから何十年と続く人生について、"私に明るい未来はない"と。
過去の過ちのことを考えれば、このように自己否定を続ける生き方は、ある意味正しいと個人的には思っています。
でも、この生き方や考え方は、私を産んでくれた親や、関わってくれる人たちを悲しませたり、不快にさせたりすると思います。
それに、仮にこの生き方をした最後に自死を選んでしまったら、何の解決にもならないと思います。
まるで被害者ヅラをしたような文章で、不快に思われたら申し訳ございません。
私はどうすればいいのでしょうか。
誰にも言えない、そして忘れられない過去を持つひとりの人間として、
この止まらない自己否定・ネガティブ思考と、どのように向き合い生きていけばいいでしょうか?
ご回答いただけますと幸いです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人は皆間違いを犯します
拝
人は鏡
己が未熟であればそこには怒りや不寛容さが生まれ
相手に無意識に攻撃として向けられる事があります
もしかするとそれはあなたの未熟さがそもそもの原因であったのかもしれない
自分の行動が人の不幸を招いてしまった事はやるせない事
人の一番劣っているところは無意識に考え言葉にしたり行動してしまう部分
これは大変危険でして
気がつくと誰かにとってとんでもない罪な事をしてしまう
貴女の今の状態は己の「無意識」という愚かさに気がついたという段階です
貴女はその己の愚かさに気がつき己を責めるしか無い状態のようですが
これもまた次の気づきを得る為の重要な時間です
仏教で繰り返し説かれるのはこの無意識に対し意識を持つ事です
無意識はあらゆる悪事を招きます
戦場に生まれ人を殺す事が正義と育てられれば多くの人は人を殺すでしょう
そのまま無意識であれば人を殺し続ける
ところが気づくべき人は
ある時必ず「なんてことをしてしまったんだろう」と気がつきます
気がつく事が無い人は残念ながらそのまま
気がつくという事はとても重要な事です
子供だったあなたは気が付かなかった
自分の不利益しか見えなかった
ところが今よく考えてみると
相手の性格や行動は
相手の育った環境や元々持った素質によるものだったはずで
自分が攻撃せずとも
相手は気づく時がくれば気がつかざるおえなかったし
傷つくことも免れなかったはずです
もしかすると貴女が相手にそれを伝える言葉や経験を積んでいたら解決できたかもしれないけれども
貴女がそうなるにはあまりにも幼かったのです
沢山の宿題が残りましたね
但し
今死にたいと思うのは尚早
死にたいと思うのはただの破壊衝動という狂ったものです
無意識が支配する獣への道
ただ本能のままに食べ物を食べ
己の利を満たす
利己的な道
そうして自ら無意識に向かおうとする愚かな行為をやめて
意識的に他の利を考え行動する「人」の道を歩む事ができるのは
気がついたあなただけなのです
傷つけた人を救うのはもはや貴女の仕事ではない
あなたのように人という生き物の愚かさに気がつき
他の利を大事にする人によってそれはなられるのです
貴女もそう心がけ人の道を求められる事を勧めます
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございました。
少しずつ整理をしていきたいと思います。