マイナス思考の友人
こんばんは。
また、相談させてください。
私の友人が、マイナスな感情しか言いません。
しんどい、辛いなどです。
またもう一人の友達は、ふとした時に私のことをすごい目で睨みつけていて、私と目が合うとはっとしたようになり、笑顔になります。
私自身がマイナス感情になる時があり、類は友を呼ぶで、マイナスの人達とかかわるのでしょうか。プラスの感情を持っている人達に巡りあえるには、どうすればよいでしょうか。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたがその友人の言葉をマイナスと思わないようにする
禅仏教とは物事の本質を追求する宗教です。
人の言葉には本質的には陰陽・プラスマイナス・正誤・是非善悪はないという視点を持つ。
なぜでしょうか。
では以下の言葉を読んでみましょう。
・しんどい
・だりぃ
・つかれた
・やってらんねぇ
・元気ない
本当は(ここ)そこには、ネガティブとか否定的なラベルなんてないのではないでしょうか?
ただ、そういうことばで何やら言いたいことを代弁、いわんとしてるだけ。
これらの言葉はある種本人の主観であり、本音であり、人からジャッジされなくても良い本人だけのツイートなのです。
言葉の響きや投げかけ方、ぶつけ方が投げやりで、乱雑であったとしても本質を見る。あなたがその相手のネガティブ怨念めいた心理にあなたの健全さが脅かされなければ、その人がただブツブツ独り言を言っているだけ。あなたに言っているのではなく、本人のつぶやき。
言葉は乱暴ですが、他人の怨念・恨み事、ぶーたくれなどコチトラ知ったこっちゃァないのですから、放っておく&シラヌガホトケぐらいな「そーしゃるでぃすたんす」をキープしましょう。首を突っ込むから怨念に呪縛され、新型かまってちゃんウィルスに感染されるわけでしょう。それはあなたがあなたの主観や干渉、ツッコミ濃度が濃いだけです。法衣を纏うがごとくに心理バリアをはればよいでしょう。
本人が本人の都合で勝手に病んでいるわけですから。
かといって、そこで、知らん、知るかタワケ、とは言えないでしょうからこそ、本質を見抜くのです。
どのみちそんな救われないことばを言ったところで誰も救われないのですから、
どうせぼやく、愚痴る、悩むにしても建設的にぼやく、愚痴る、悩めばいいのです。
そうすれば、言葉の意味もあなたの中で変わった形で受け止められるでしょう。
ああ、この子は…
・疲れてるだけね
・聞いてほしいのね
・それを言って発散してるだけね
・その気持ちもわかるわよ
・SOS信号ね
どんなネガティブに思える言葉でも、ただ本人の主張にすぎなくなるのです。
この世の中のどんな不平不満も怒りも怨念の言葉も言葉を変えてみれば、それは単なる本人の「こうしたい」「こうしてほしい」「こうあってほしい」という心の声なわけです。そこんところを読み取って、ナイスキャッチ、ナイススルー、ナイス導きをすればよいのです。より良い生き方の方向に進む意志さえあれば大丈夫です。
質問者からのお礼
お忙しいなかありがとうございました。
自分自身が振り回されないよう軸をしっかり
もちます