過去の後悔が未だ消えません。
過去の行いを懺悔させてください。
以前、鬱病のような症状に悩まされていた時期のことです。
ある朝、社用車で出勤の際、バックで駐車場を出ようとした時のことです。
隣人の車に、当ててしまいました。
その当時、なぜか私は「あ、当ててしまったなぁ。」くらいの軽い気持ちで、そのまま出勤してしまいました。
そして数週間後。
職場の上司が「昨日まで無かった傷がついてる。何か心当たりはない?」と聞いて来ました。
今思うと、先日、自分が当てた傷だったのだと思います。
しかし、何故だかその際、「昨日までなかったという事は、きっと今日当てられたんだ!」と思い込んでしまいました。
その後、隣人と警察に行きましたが、傷のつき方や、車を動かした時間帯からして、私が当てたということで話がまとまりました。
しかし、その当時の私は、謝罪に行くことも無く、修理費だけ払いました。
そして、当てたはずなのに「当てていないのに!」という不満な気持ちでいっぱいでした。
数年経って精神状態が落ち着いてからは、なぜあの時、当てた後、そのまま放置していたのだろう。
なぜあの時、自分は当てていないはずだと不満に思っていたのだろう。
なぜあの時、謝罪に行かなかったのだろう。
そんな後悔でいっぱいです。
修理費はすでに払い終わっており、今はその土地から離れたところに住んでいますが、時折思い出して後悔に苛まれます。
精神状態が正常ではなかった。
まだ幼かった。
と言ってしまえばそれまでなのですが、罪悪感や後悔が消えません。
一生思い出して後悔し、生き続けるべきなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
後悔の念が生じたときに
こんにちは。「以前」というのがどの程度のことか分かりませんが、基本的には終わったことなのでしょう?しかし後悔として何かあなたに残っているのだとしたら、「何かをすることで決着をつけたい、借りを返したい」というお気持ちなのだろうと思います。
一つの提案として、その方の住所やお名前が分かるのであれば、お中元を送ってみては?と思います。「お見舞い」でもよい。
それを先方がどう受け取るかは分かりません。けれどもあなたにとっては「行動を返した」という実績にはなるでしょう。
それができないのであれば、こうして思い出す度に、その方のことを祈ってあげてください。「あの時はすみませんでした。どうぞその後、お健やかにお過ごしになれますように」という感じです。祈る、という行動も、相手がそれを見ていないにしても、やはり実績になると思いますよ。
もう一つは、今後のことです。同じことを起こしてしまったら。或いは起こされてしまったら。「その後どういう行動をとるべきか」を学んだと思って、それを実行に移してください。
行動と気持ちはよく結びついています。気持ちそのものには触れられなくても、行動で気持ちが変わっていくことは、あり得ます。