故人が安らかに成仏したか?
何年もずっと気にしています。私の親は善人でしたが良い人生ではありませんでした。生前かなりひどい目にあい、最後には病気でかなり苦しんで亡くなりました。ある時から全ての宗教の神を信じなくなり、最後にはこの世と人間に対する怨み事を言いながら亡くなりました。もう亡くなってから10年以上経ちますが私には成仏したようには思えません。何か故人が成仏したかどうかわかる方法はありませんか?教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自灯明 法灯明 のこころ
ご承知のとおり、「成仏」というのは、仏に成ることであります。
“仏に成る”わけですから、これはおのずからのはたらき(=他力のこと)であって、人間の方の都合や能力や実績、行いなどで「成れる、成れない」が決まるようなもの(=自力のこと)では本来ないはずでしょう。
かりに生前、怨み言を言っていたとしても、それをゆるさぬ狭量な神仏(ほとけ様)などいるものでしょうか。生前の行いがどうあれ、またたとえ数多過ちあれど、みなみなゆるしてしまうのが神仏本来であろうと思います。
ゆえに、ご両親(※)におかれましても、(例にもれず)かならずや成仏なさったものと思われます。きっとあちらの世界で本来の善い心のまま笑ってお過ごしなのではないでしょうか。
※チャトラさんの言われる「親」というのが、お父様のことなのかお母様のことなのか、またはお二人共のことなのかはわかりませんでしたので、ここでは「ご両親」とさせていただきますね。
なお、これは余計な事かもしれませんけれども、もとよりの事を申し上げれば、死して責められる生命などありましょうか。
肉体を離れれば、一切衆生悉有仏性、いずれの魂も生命ひとつ切りの世界にかえってゆく(成仏する)ばかりでありましょう。
あとはチャトラさんご自身が、心底からそう確信出来るまで、(考え方として思い込むのではなく)ご自身の身と心とでお確かめになったらよろしいですね。
そのための具体的方法を仏教は伝えてくれています。それが観察瞑想であります。ただ静かに、ご自身をあるがまま見つめるのです。
そうすると、だんだんと見えてくる(わかってくる)ものがあるはずです。
暗い部屋のなかでは辺りの様子が見えず不安になるかもしれませんが、静かに何をということなく眺めていると、そのうち部屋のなかの様子が見えてくる。あの感覚に似ているかもしれません。
なお、わたくしめには、ご両親があちらの世で苦しんでおられるお姿は想像出来ません。きっとお二人ご一緒に笑っておられましょう。ですから安心なさって、チャトラさん、ご自身の内側にひろがる生命の世界を眺められてくださいませ。
そわか合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。成仏とは他力によるものなんですね。父親は私が子供のころ離婚しまして、私は母親に育てられました。その父親も善人だったのですがあまり良い人生ではなく、早くに亡くなってしまいました。もちろん父親が成仏したのかも気になりますが、文章の人物は母親です。頭がいい人でしたが人間が良すぎて人に欺かれたりしてかなりつらい人生でした。老後は突然難病にかかりかなり苦しみました。本人はせめて老後だけはおだやかに暮らしたいと言ってましたが、それもかないませんでした。死ぬ一年くらい前から死期が近いのが自覚しているのか、人間と現世と運命に対して怨み事を言い出しました。私はそれに対しては今までを考えれば当然の感情だと今も思っています。しかし死後は安らかな世界に行ってほしい これが私の今の最大の望みであります。お話を伺って少し私の気持ちが楽になりました。親や先祖に関しての悩みはまだまだありますので見かけましたら、回答お願いいたします。ありがとうございます。