地域の高齢者の目が気になり息が詰まりそう
地域の高齢者に監視されているように感じ毎日息が詰まりそうなんです。私の町内、班内は高齢者が圧倒的に多く、皆さん公務員や大手企業や銀行を退職して悠々自適に生活している人しか居ません。庭も広く家庭菜園や庭の手入れをしたり、奥様達が集うのも毎日です。南向きの陽射したっぷりの環境で朝からどのお宅も庭に出ています。そんな中私の自宅は塀などの囲いが無く道路から自宅窓に手が伸ばせる状態で、絶えず住民や業者の往来があり気が休まりません。自宅の中を人に見られるのが嫌で窓にはパネル(太陽光は入ります)を貼り、私が出す生活音(トイレのドアの開閉、洗濯機の音、炊事、テレビ音など)を聞かれるのも嫌で仕方がありません。買い物に行く時も近所の人が在宅している時間を選び、高齢者の奥様達の井戸端会議が始まれば外出の予定を変更して一日中家に居る時も良くあります。自宅の庭の清掃や草取りをしたくても隣り近所から見られると思うと、清掃のタイミングが難しくなかなか片付けられないままです。
こういう気持ちになったのは両親が他界して実家で一人暮らしを始めてからです。80代の夫婦が元気で、お金に不自由しないし、庭を眺めて過ごせるし、子供や孫の心配もいらない、そして子供達も親の介護や生活の心配もいらない。何で私だけ…なぜ我が家だけという感情を高齢者へ持ってしまいます。私の両親は老老介護がきっかけで私が仕事を辞め両親の介護をしていました。
歪んだ感情から私は高齢者と関わりたくないので挨拶もしません。顔や表情を見られるのが嫌なので常に帽子を被っています。
高齢者と関わらなくても意識しない生活をしたいと本当は思っていますが、高齢者にこんな感情を抱くのはなぜなんでしょうか?
高齢者の目を気にせず好きな時に出掛け、自分のタイミングで洗濯や炊事をする→そういう行動や心理になるにはどうしたら良いですか?
この面倒な性格に自分自身疲れています。この超神経質な性格は直りますか?
私は病気でしょうか?
長くなりましたが少しでも心が穏やかになりたいと思っています。どうかお言葉を頂けないでしょうか…。どうぞ宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
隣の芝生は・・・・・・・・
…で片付けるには少し難しい感じですね。
両親の介護は本当にご苦労様でした。
介護の苦しみから解放された気持ちと、一人になった悲しみ、その両方を抱えておられるんじゃないでしょうか。
娘に介護して頂き一生を終えた両親は、誰がどう言おうと幸せだったと思います。
今度は湯たんぽさんが幸せを望む番です。
80代の方を葬儀で送る時、私は尊敬の念を込めて送ります。
戦争中の大変な時期を生き延び、戦後の日本普及に貢献された、今より何倍も気苦労の多い青春時代を過ごしたと思っているからです。
湯たんぽさんは、自分が高齢になった時と、今の高齢者を比べてしまい、妬みの感情で自分自身を苦しめているように思えます。
ですが、お釈迦さまの説く「老病死」の苦しみをよく知っているのは高齢者です。
どんどん死んでいく友達、明日にでも自分のパートナーが死んでしまうんじゃないかという不安、自分の目の前に刻々と迫る死と、同時に衰えていく体力。回復力は低下し、病が治りにくい。どこに行くにも体力が低下するので、若い時とは別の喜びを見いだすようになります。
湯たんぽさんが表面で見えている以上に、みんな「老病死」の悩みに苦しみ、向き合って、いかに自分の残された少ない人生を謳歌すべきか一生懸命なんです。
そんな方々を、"若さ"という欲しくてももう絶対手に入らない財産を持った湯たんぽさんは、まだ妬み続けますか?
「若者嫌うな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ」と誰かが言いましたが、「若者」だとか「高齢者」だとか分けること自体がすでにナンセンスと私は思います。
さっき述べたとおり、みんな残りの人生をどうやって過ごすかに一生懸命なので、湯たんぽさんがどう生活しようと、たいして気にもとめていませんよ。
自分の生活を苦しめているのは自分自身ですから、早く解放してあげて欲しいです。
相手を"自分がまだ知らない苦しみや悩みを抱えている方々"として見てはいかがでしょう。
そうすると、自分のこれからの人生において、学べることもたくさんあると思います。
質問者からのお礼
先生回答ありがとうございました。
恥ずかしながら携帯電話の料金が払えずバイト代が入って今お返事をさせて頂きました。
こういうその日暮らしをする生活も高齢者(裕福な環境の)を妬む気持ちが生まれて来る要因かも知れませんね。
人の心の中を見る事はできませんが、優しい気持ちを持って相手を見たり関わって行くようにできればと思いました。
先ずは自宅に篭りがちなので外に出てみようと思います。(車移動が当たり前の地域に居ながら経済的に苦しくなり車を手放し自由を奪われた気持ちで生活していました。)
両親の介護に当時の私は俯瞰で捉えられず、老いていく両親の姿とバリバリ仕事をしていた頃の姿を比べては酷い言葉を発したり時にはヒステリーになり手を出した事も一度や二度ではないです。他界して存在が無くなって初めて【生きてる事】が何より大切な宝物なんだと実感しています。…喪失感や二人の命を守れ無かった事、優しい娘で無かった事など反省だらけです。