十分頑張ったから、早く死にたい思います。
あまり人には話しませんが、若い頃からずっと、早く死にたいと思って生きてきました。でも本格的には自殺しようとしたことはありません。
いつからこうなのか。はっきりとは分かりませんが、確か20歳の誕生日、これで寿命が一年縮まったと思った記憶はありますから、かれこれ35年は変わらない私の基本です。
表面上は恵まれた生活だと分かっています。目先の目標やら楽しみやらを見つけて、死にたい気持ちを誤魔化し誤魔化し、生きてきました。
私のような感覚の人は少数ながらいるのだろうと思っているのですが、実際どうなのでしょうね。
信心があるわけではありませんし、知識もあるわけではありませんが、仏教の空の考え方はとてもしっくりし、写経や座禅はたまに行きます。
この先、命が尽きるまで死にたいなと思いながら、生きるしかないと諦めていますが、50を過ぎ、ここまで頑張り、もう十分とよく思います。
仏教の教えになにか救いとなるものはありますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏様は私をわかっていてくださるという安心は、毎日が穏やかに
私も今日が最期になるかも知れないと思いながら、手を合わせて生きています。最期を知っていて見届けてくださるのは、仏様なのでしょうね。仏様だけは、どんな私でも、どんな生き方でも、決して見捨てることなく、この命のそばにいてくださいます。何もかも、わかっていてくださる、お見通しでありましょう。この私のいのちは、仏様に頼り、お任せしています。
あなたは、恵まれた生活でも、執着はないようですね。だから、生きたいとも思わない。
死にたいと思うことも、あなたの気持ちなら、自然な感情でしょう。この身このままお任せしたらいいのですよ。仏様に任せ、頼る生き方でもいいのではないでしょうか。
湧き起こる喜びや楽しみを感じにくくても、仏様がそばにいてくださる、私をわかっていてくださるという安心は、毎日を穏やかにしてくださいます。その時がくるまで、仏様が導いてくださる縁に出会うのも悪くないな、意味があるのだろうと思うと、いつもの毎日が新しいことの始まりになるかもしれません。
こうして、ハスノハに来られたのも、仏様のお手回しでしょう。死にたい気持ちも、大切に聞かせていただきます。ここでは想いのままに。あなたを尊重したいわ。そして、こうしてお話しましょう。繋がっているのだから。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございました。嬉しかったです。
執着がないのは、まさにその通り(いざとなったら醜く取り乱すかもしれませんが)ですが、瞬間瞬間のポジティブな感情はあり、たぶん周囲の人間は私を明るい人と思っているはずです。心底暗い人間は、存外明るいといいますか。
仏様の導きに任せる。
この心持ちについて、誰かと話してみたいと思いました。でも、いきなり近所のお寺を訪ねていいものかすら、あまりに知識がなく分かりませんが。特定の信仰を持たずにきた人間なので、とても遠くに感じますが、これもまた縁あれば、機会に恵まれるかもしれませんね。
ありがとうございました。