消えてしまいたい…。
誰にも迷惑をかけずに消えたいです。
私は中学生の頃からずーと憂鬱になったり鬱の症状に似た状態になったり普通に戻ったりを繰り返しています。
私の父は普段は気さくですが、気にさわるとすぐ怒鳴ったり物を壊したりしてました。
母は温和な性格でしたが、「お金がない」が口癖でした。
私は三人兄妹の末っ子でした。
それでなのか、怒られたり怒鳴られたりするとすぐに縮こまってしまいます。
また、大きな物音を聞くと体がびくっと反応してしまいます。
そして、実家にいた頃は母が「お金がない」と言う度に『私が生まれなければ、もう少しお金に余裕があったかもしれない。』と思うようになり、いつしか『私なんて存在しなければ、私のせいで腹を立てたり、不愉快な思いをしなくて済むのに…。』と考えるようになりました。
彼が出来て私を必要としてくれる人がいるんだと強く思うことが出来たのですが…
今は仕事の影響で鬱状態に似た状態になっていて
彼が私を必要としなければ、心おきなく消えられるのにと考えるようになってしまいました。
自ら命を断つ勇気はないのですが…。
こんな想いをずっと抱えたまま過ごすのは、辛すぎて、でも親しい友人にもこのことは、話せなくてこちらで話させて頂きました。
私はどのような気持ちで生きていけば
いいのでしょうか?
今のままだと苦しくてどうにかなりそうです。
良い返答を頂けると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生かせいのち
「生かせいのち」という言葉は私の信仰している「高野山真言宗」のスローガンです。シンプルでわかりやすい言葉です。どんな意味かというと、「この世の中に存在しているもの、人間も動物も植物も含めてこの世に存在しているものは全て何かの価値を持っている、値打ちがあるからこの世の中に送り出されてきているんだという考え」です。
「消えたい」ということですが、私たちは消えることが出来ません。死ぬことは出来ますが、それはいけないことです。昔から親より先に死ぬと三途の川を渡れなくて賽の河原で鬼にいじめられると言います。遺族がお地蔵様をしっかり拝むことでお地蔵様が助けてくださると言いますが、どちらにしても、まだまだ生きれるのに自ら命を絶つのはいけません。生きたくても、生きなければならなくても、病気や事故などで死んでしまう人たちだってたくさんいるのですから。
実家での経験がのしかかっているのが原因のようですね。過去があって今があるのですから、それはしかたのない事でしょう。しかし、今があって未来があります。今をここで消してしまわないためにも、未来をつくっていくためにも、今を一所懸命生きることが大事だと思います。鬱状態になるのはとてもつらいことだと思います。病的になるのであれば、医学的に診てもらうことも一つの方法だと思います。一所懸命、生きましょう。そして、自分を生かし、大切な人を生かし、世の中を生かして下さい。
私たちのいのちは両親の縁から生じていますが、その両親の縁はそのまた両親の縁と、どんどん遡ります。私たちのいのちは、私たちの知ることを超えたいのちの繋がりから伝えられ頂いているものです。大事なものなんですよ。だから、お互いに頑張りましょう。