どうしていいかわからず…
初めてご相談させていただきます。
夫の金銭トラブルから子供達や私の両親を守る為離婚協議中SNSで知り合った既婚男性と会うようになり、離婚成立後付き合うようになり、出会って5年半たちました。
相手は家庭内別居の仮面の夫婦です。
既婚者と知りながら付き合っていましたが、やはり子供達に隠し事をしている事、不倫という罪の意識にたえられなくなり、別れる事になりましたがまだキッパリとは終わっていません。
ただ、1人の男性としては、ここまで相性のいい人はいないと感じています。
私が嫌なのは不倫だけなんです。
相手も多額の借金の為に離婚は難しく、ずっとこのままの関係でいたいと言っていますが、それでは私がただの都合のいい女になってしまいます。
それでも別れるなら友達でいようと言っています。
不倫は嫌です、真っ当に生きたいです、でも…
①キッパリ別れる
②友達で付き合っていていいのか
③不倫というリスクを背負いながら一緒にいてもいいのか
決断出来ずにいます。
正解は決まっているんだと思いますが、ご意見をお聞かせ頂ければと思い、よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
内心わかっている通りです
咲夢さんこんばんは初めまして、武田正幹と申します、よろしくお願い致します
さて、もう内心わかっているみたいですのでざっくりと言いますと①のみです、きっぱり別れましょう
仰ってますように都合の良い女、泥沼にはまっているだけです。金銭トラブルも痴情の縺れもどんぐりの背比べ周りに迷惑をかける分では同じようなものです。
友達というのも肉体関係ありきなら、文字通り都合の良い女です。
もし、相手奥様にばれたらそれこそ、金銭トラブルも発生致します。
内心わかっているみたいですのでこれ以上は言いませんが、あなた達の関係は正にいっときの夢のようなものです。まだ間に合うのでしたら、潔い決断をご祈念致します
慙愧(ざんき)の心を大切にし、恥知らずな人間にならぬように
むずかしいタイトルを付けちゃって、すみません。難解と思われる仏教語ですが、私たちの心の働きや人間関係に当てはまることも結構多いんですよ。
普通に、国語辞典にもありますが、仏教語としての「慚」と「愧」についてちょっと説明させて下さい。
「慚(ざん)」とは自分自身と法(仏教の教え)に照らして自分がなした過ちを恥じると共に、有徳者や善なるものを尊重することである。
「愧」とは世間(法律や慣習などの規範) に照らして自分がなした過ちを恥じると共に、悪行から離れることである。
つまり、人は自分の行動をいろんな規範に照らして顧みて、自分の行った過ちを恥じる。そういう立派は心の働きがあるというのです。ご質問に即して言えば、
「不倫という罪の意識にたえられなくなり」というのは、慚の心の働きであり、
「子供達に隠し事をしている事」というのは、愧の心の働きなのです。
つまり、人の道に反する生き方をしてはならないという気持ちをあなたはちゃんと持っており、母親として子供たちに対してきちんと向き合える生き方をしなければならないという気持ちも持っておられる。立派です。大事なことです。
ここまでは立派ですが、その後がいただけないですね。「キッパリとは終わっていません。」なんて言って、情と欲望に負けそうになってますよね。仏教語には「無慚」「無愧」という言葉も有ります。平気で道に外れたことをやろうとする恥知らずのことを言います。理性では慚愧の心を持ちながら、欲望に負け、「友達」という言葉のトリックで「無慚」「無愧」の恥知らずになろうとしてます。
恥知らずな人生を生きたいのか、自分自身にも子供たちにも恥じることの無い人生を生きるのか、よくよく考え行動に移しましょう。「都合のいい女にはなりたくない」とわかっているなら、取るべき行動は一つです。
質問者からのお礼
早速のご回答ありがとうございます!
頭で理解していても、私達の場合は違う運命なのではなど迷い苦しんでいました。
悲しませる人のいる幸せは成り立たないと思っています。これでキッパリと決断できました。
過去5年半の過ちを深く反省し、誰にも恥じる事のないよう真っ当に生きていきます!
奇しくも今日は出会って丁度5年半です!
武田正幹様。吉田俊英様。
ありがたいお言葉本当にありがとうございます!
曇っていた視界が開けました!
残機の心を大切にし、恥知らずな人間にはならないと約束します!
そして、少し仏教を学びたい気持ちになりました!